自分にも相手にもリスペクトを。調和のカギの一つはリスペクト。

オーストラリアに戻り、イースターホリデーを家族で過ごしている

ライフコーチの河合ゆうきです^^

今回の日本の帰国は、私にとってはステージアップのチャンスでした。

コンフォートゾーンを抜ける一歩。

それは、やっぱり怖い。

人間の安定の恒常機能があるわけで、リスクとってまで変わる必要あるの?って内側の見えない存在が囁くのです。

だけど、その声以上に、私に見えていたのは光だった今回。

それは紛れもなく2018年の暮れから始まった、私の中のワンステージ総仕上げ!

28歳でワーホリをスタートしてから、5年間かけて見つけた、

私がこの人生で実現したい生き方、世界、そして繋がっていたい仲間を宣言する時でした。

今回、一歩踏み出す私にとって、とっても大切だった感情、感覚があります。

 

それは「尊敬」「リスペクト」。

 

特に、自分に対してのリスペクトです。

人を敬うこと。

敬うとは

相手を尊んで、礼を尽くす。尊敬する。

「敬う」は、対象を高位のもの、上位のものとして礼を尽くす意で、「神仏を敬う」などのほか、「老人を敬う」「恩師を敬う」のように身近な相手にも向けられる。

 

日本人が真に調和して生きるとき、「尊敬」は大切なキーワードだと思います。

海外にでて感じたことは、日本だけでなく東南アジアはそういった文化、習慣があるなということ。

人を敬うことが日常の中にあるアジア圏。

特にタイ人の友人とは、共感しあえる考え方があるなと感じていました。

 

そんな中、最近の日本、現代社会ではこの「敬う」という姿勢が忘れられているようにも感じます。

目上の人に限ったことではなく、人と人が関わる時には「敬う」という姿勢があるかどうか?は

心地よい人間関係かどうかを左右する大きな要素です。

 

家族の中でも、仕事の中でも、友人との中でも、そこに相手への「尊敬」があるかどうか?は、関係に影響する要素です。

 

 

「尊敬」「敬う」ことが日常から消えてきた背景には、

自分自身を大切にする。

ということができないでいる人が多いからでは?と感じています。

 

敬うとは、その対象を尊い存在としてとらえ、それを態度や行動で表すこと。

「尊敬」は、決して対象が「何をしたから。」には関係のない部分です。

何かをしてくれたから尊敬。ではなく、もうそうやって生きているだけで十分である。という尊敬です。

 

この「尊い存在」と言う部分を考えた時、私たちはみんな本来「尊い存在」だと気づけているでしょうか?

 

生きているだけで、実は十分に「尊い」私たち。

波のようなアップダウンする人生の運命に、立ち向かいながら生きている。

時には立ち止まり、もうだめかもしれないな。と絶望に飲み込まれそうなときもある。

だけど、時とともにまた歩み始め、自分の人生、幸せや理想を目指して生きる。

 

私はオーストラリアに来てからの5年の間、

ここから私がハッピーな人生を生きるぞ!と上昇した波から、

一気に下降し、これまでの人生で一番ダークサイドでは?

という冥界下り(ヒロインの旅シリーズ参照)も経験しました。

 

日本で「わたし」だと感じてきた存在が、

実はニセモノで誰かになろうとしていたことに気づいたとき、

本来の私がすっかりわからなくなってしまったのです。

それまで私は一生懸命生きてきた。と自負していましたが、

その一生懸命さえ、誰かを演じてきたものかもしれないと思ったら、

どれが本来の私なのか?がわからなく、アイデンティティが崩れていきました。

 

そこから、「わたし」の感情に向き合い、これまでの人生を振り返り、

気づかないふりをしてきた過去の「傷ついたわたし」や「たくさん我慢してきたわたし」に向き合いました。

その中で、傷ついた瞬間も、その傷を隠すことを決めた瞬間も、その時の私は精一杯だったことに気づいていきました。

「あぁ、私頑張ってきたんだなぁ。」と心から感じられたのです。

そして、そんな経験があるからこそ、今わたしがやろうとしてる仕事や働き方への意義も意味も加わり、私だからこそ出せる価値になることもわかりました。

 

そうやって一つ一つ向き合っていく中で、自己肯定感も自己効力感も満たされていく。

そして、自分に対する「尊敬」が生まれるのです。

 

それは、「わたし」という存在への尊敬。

 

ここが満たされて初めて、周囲の人への「尊敬」も心から湧くのだと感じているんです。

 

もちろん、今までだって年齢関わらず、関わる人々への「尊敬」は意識してきました。

だけど、真の「尊敬」ではなかったかもなぁ。と感じているのです。

「自分」という存在を蔑ろにして、人を大切にすることはできないと今、感じているからです。

 

「わたし」が100%満たされている状態であり、

幸せも安心も、豊かさも十分に実現できる存在だと腹落ちすることで、

初めて100%で人のことを満たしたり、ケアすることができる。

 

今の日本や世界に必要なことは、まず「自分への尊敬」を取り戻すこと。

そこから初めて人への尊敬も、尊敬しあうかかわりもできるのだと思います。

 

先日オーストラリアでニュースになっていた、ゴールドコーストのティーン(10代)のティニーラット。

16歳で船舶免許をとった10代の子が、アルミの小さなボート(ティニー)で河川や海を暴走していることが問題になっているニュース。

警察も厳重な取り締まりをしているということでした。

ここで、相方が一言。

相方もティーンの時代には同じようにボートを突っ走らせていたわけです。

大自然で育つオージーティーンあるあるな姿。

だけど、「昔と今の10代の違いは何か?って『人へのリスペクトがあるかどうか』だ」と一言。

彼がティーンだったころは、人を困らせてまでそんなことはしなかった。

誰かが激を飛ばしたり、よせ!と言えば、場所を変えて迷惑がかからないようにやっていた。と。

「なるほど。」と納得した私でした。

 

今時の10代にリスペクトが欠けてしまっているのは、やはり大人がそうだからだと感じます。

まずは私たちが、自分にも人にもリスペクトをもった生き方が出来ていれば、きっと10代も気づいていく。

そんなことを感じたイースターホリデー。

あなたはあなた自身にリスペクトはありますか?

 

本来のあなたに繋がり、あなたの喜び、幸せを生きる人生にシフトする。

 
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