河合ゆうき①誕生~小学生:子供らしくいられなかった子供時代

ゆうき
自分らしい生き方を磨く
ライフコーチ 河合ゆうきです

朝からブリスベンのラジオ局が、
私の好きな曲(思い出深いともいう)ばかり流すので、
とっても気分がよく、今日は良い日にしかならないと感じています。

そんな本日から、
改めて私のことを書いてみようと思います。
あれこれと書いていますが、生い立ちですね。
何せ、書きながら色々思い浮かぶこともあるので、
その時はその流れに合わせて色々アップしていきます!

おつきあいよろしくお願いします!

妹の入院生活の中、しっかりしなくちゃと静かに誓った幼少期

1986年7月12日。

私は東京都練馬区で、河合家の長女として生まれました。

ゆうき という名前は、第一子は男の子だと思っていた父と母が考えていた名前。

両親は女の子だったけど、結局そのまま名づけたのでした。

私の誕生は、田舎の村の祖父母の初孫として、親戚一同から祝福されていました。
実家に残る写真を見るとそれがよくわかります。
(今見るとなんか感慨深いものです、それだけでウルウルしてしまう・・・)

そんな私、1歳までは髪の毛が薄く、坊主。
女の子らしい服装でなければ、男の子に間違えられるような赤ちゃんでした

私が1歳になるころ、
両親は私を連れて、東京ディズニーランドへ旅行に行くようになります

都内に住んでいるけど、ホテルに泊まってディズニーを楽しむ。
この旅行は、その後長野に引っ越してからも、我が家の恒例の家族旅行になります。

2歳になると、父の会社の転勤によって、長野県の伊那市へと引っ越します。

そう、私は東京生まれ、長野育ちです。

長野県に引っ越し、私には2人の妹が生まれます。

3歳離れた次女である妹は、小児喘息とアトピーがありました。
1歳過ぎから入院がちの生活に。

この頃の記憶を私はよく覚えています。

可愛そうな妹。
大変そうな両親。

だから、私はしっかりしてなくては!と、子供ながらに両親を支えることを誓うのです。

そう、アダルトチルドレンのスタートでした。

 

本当は泣きたかったり、甘えたかったりしたことも、
ぐっとこらえて、可愛そうな妹、大変な両親の為に頑張るお姉ちゃんだったのです。

 

妹が入院中は、保育園の送り迎えをする人もいないので、
家で留守番、または父の会社についていくなどしていました。

そんな感じで私は、4~5歳の頃から、真面目で面倒見の良い長女を生きていました。

時間割は自分たちで作る、総合学習のさきがけの小学校での6年間

私が通った長野県伊那市立伊那小学校。
当時は総合学習のさきがけの小学校でした。

時間割も自分たちで考え、総合学習のテーマもクラスによって様々。
1年生は日本のお祭りごと。
2~3年生はスイミーの演劇を老人ホームで講演ボランティア。
4~6年生はリサイクルを調べる、資源回収で資金を集めて車いすを寄付。
と様々な活動をしました。

そして、どの学年でも、私は担任の先生に恵まれ、今でも心から尊敬している大人たちの元に育ちました。
友達にも恵まれ、充実した小学校生活。

幼少期の決意話変わらず、しっかり者の長女な私。
児童会長とかもやりました。

 

小学校時代は、総合学習で

自分で調べる、取り組む、生きる力

を学びました。

自分で興味があること、知りたいことをどうやって知るか?

その当時はインターネットなんて無かったので、
電話調査や、実際に見学に行ったり話を聴きに行ったりしました。

電話一つかけるにも、セリフを考えて書き出し、
10円玉を積み重ねた学校内の公衆電話から、
代表の周りにみんなで耳をくっつけながら電話をしていました。

どれもドキドキするけど、ワクワクして、楽しかったのを覚えています。

ドッジボールで長野県1位になった経験もあり、日々の時間割はいかに体育と総合の時間を増やすか!
をみんなで考えていたし、全て1つ1つが、その後の人生の基礎にあるように思います。

そして、中学校に繋がる部分としては、
高学年の時に、合奏クラブに入り、音楽がますます好きになります。
中学校では吹奏楽に入ろう!と決意。

小学校5年の時から毎日のように

「中学では吹奏楽部に入る、今から誕生日もクリスマスもプレゼントはいらないから、マイ楽器を買ってほしい」

と伝えていました。

そして、吹奏楽部へのワクワクを胸に、私は中学生になるのでした。

 

 


振り返って書いていみると、
改めて気づくことってありますね。

当時、妹のことを可愛そうって思っていたのですが、
だんだん、自分も可愛そうだなって思うようになっていました。

だから、頭では
「妹はアトピーと喘息だし、妹がなりたくてなったわけじゃないから仕方がない」と
わかっていても、心では妹への嫉妬や、嫌いという感情が湧くこともありました。

そんな気持ちを、小学生まで抱えていたと思います。

それが変化したのは、小学校で出逢った友人のおかげです。

末っ子で下に姉弟のいなかった友達が、
私の妹をとても羨ましがって可愛がってくれたこと。

私にしたら、その友達には、お兄ちゃんもお姉ちゃんもいて羨ましかったのだけど、
みんな無いものねだりなんだなぁって小学生ながらに感じたのです。

だから、私には妹がいて良かったなって思うようになっていきました。
アトピーも喘息も早く良くなったらいいな。
いじめられずに学校を楽しめたらいいな。
と思えるよういなっていきました。

今、30代になって、三姉妹って本当に面白くて楽しい。と感じています。
性格もそれぞれだし、やっていることも、生き方ももちろん違う。
だけど、みんなこの家族が好きで大切なことが分かっている。

大人になるからわかることってありますね。
そんなこともこの振り返りと共に感じたいと思います。

 

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