みんなの太陽のようでありたいという生き方。

自分らしい生き方を磨く
ライフコーチ河合ゆうきです^^

 

 

Facebookの1年前の投稿。
1年前の私は祖母の手術のために
日本にいたのでした。

 

 

あの時、85歳の高齢で、
ペースメーカーも入れている祖母が、
全身麻酔での手術ということは、
リスクがどれくらい大きいか?
看護師である私にはすぐに理解できました。

 

 

と同時に、
自宅で日中ひとりになる祖父。
意識としゃべることはしっかりしているものの、
動作、日常の色々は、
ギリギリ自立・・・か?
というと程度だったので、
ひとりで介護している母のことを考えると、
これは帰らないとだなと思いました。

 

 

 

2月にセラピストとして
勤めていたところを辞め、
3月は日本に帰ると決めたのでした。

 

 

 

当時の私は、
今の働き方のイメージはまだ明確ではなくて、
暗いトンネルの中を必死に走っていました。

 

 

しかもオーストラリアの自宅には、
まだインターネットなしでした。爆!

だけど、自分にとって大切なことを
大切にしながら生きると決めたから、
仕事を辞めたし、
1ヵ月日本に帰ると決めたのです。

 

ちょうど1年前
2016年の3月22日のブログでは
こんなことを書いていました。

祖父母との実家生活もあとわずか。

私がオーストラリアに戻ったら、
また母が介護を担うわけですが、
正直働きながらの介護、田舎の現実、
祖父母の意思を尊重したいとなると、
なかなか、いや、かなり厳しい現実があります。

私がいなくなったらと、母も祖父母も不安マックスです。

そんな中で私ができることは、
今やれることをすべてやること、
そして、母と祖父母の生活に戻った時に、
少しでも生活しやすい環境を整えること。

リウマチのある祖母にとって、
食事の食器を運ぶことは大変なこと。
母が仕事の間は、母が支度をしていった食事を
祖母が運んで、祖父に用意するのです。
重かったり、落としたら割れちゃうし、
と一生懸命不安と共に、生活していたわけです。

割れなくて、軽い食器に変える。
すべらないお盆を用意する。

たったこれだけの事ですが、
祖母の不安や負担は減ります。

割れない、軽い。
シンクに入れる時に多少乱暴になってしまっても割れない。
祖父母はそんなこと思いつきもしなかったと。
母も忙しい中、そこまで気が回らない。
たったこれだけのことだけど、
必死に生活している本人たちは
気づくことが難しい状況にあるのです。

だから私が提案して、準備して、
それが使えるようにする。

私は毎回、祖父母のいる実家に帰るたびに、

何を改善するのとで、

生活が楽になるか?

不安が減るか?

をいつもいつも考え、観察し、
見つけては行動しています。

前回は物干し竿の高さの調整と、
祖母が体重をかけても落ちないように、
災害にも使われるロープを買って
(ホームセンターで買えるもので高くはないですよ)

結い方をグーグルで調べて縁側に固定しました。
それから祖母は縁側から
ちょうど良い高さで、
安心して洗濯物干しができるようになりました。

毎回毎回、祖父母の不安や、心配事を
確認しては1つ1つ
解消していくのです。

それは時に母にとっても安心や
介護が少し楽になることにつながっています。

これは今までのボランティア経験や
看護で培ってきたことだと感じています。

みんな同じなんです。
些細な不安かもしれない1つ1つを、
安心に変えること。

その1つが実はとっても大きかったりします。
その積み重ね。

子供の頃、妹が喘息で入院がちでした。
点滴を受けながら、
高い柵のベッドの中にいる妹。

付き添いの母と、
家のことをしながら仕事をする父。
私のこと、1番下の妹のこと。
みんな大変でした。

あの時から私は、

家族の中で太陽みたいに

みんなを笑顔にできるようになりたいと思っていました。

それはずっとずっと変わらないし、
だから今の私がいます。

お節介で世話焼きな長女の私。

時にそれを必要以上に負担にしていたこともありました。
だけど、
結局好きでやってる自分を見つけたのです。

そうしている自分が好きだし、心地よい。
それが私なんだなぁって。

そしたら気持ちも楽に、
目の前の1つ1つに集中できるようになりました。

そして、自分のことをちゃんと満たしながら、
ちょうどよくお節介で世話を焼けるようになりました。

だから今は胸を張って言えるのです。
私は
家族の中で太陽みたいでありたい。

いつだって、
私の姿やあり方でみんなを笑顔にできる、
小さなことでも1つ1つ不安や心配を
安心に変えることができる。

そんな存在でいたいのです。

 

 

私の原点の想いです。

 

 

この想いがあったから、
高校時代も、大学時代も、
看護師になっても、
オーストラリアに来ても、
私の在り方のベースは変わらない。

 

 

私は、安心を届けられる存在でありたい。

 

ギラギラした太陽ではなく、
春のひだまりみたいな温かさで。

 

 

家族も、仕事も、
繋がる全てのご縁に対して
私はそうやって今を生きる。

 

 

これが私の生き方。

 

 

3月に1ヵ月も実家で過ごす、
祖父母と過ごすなんてことは、
正直小学生の夏休み以来でした。

 

 

でも、本当に帰って、
こうやってゆっくりと時間を過ごせて
よかったと思ったんです。

 

 

なぜなら、私の次の緊急帰国は、
祖父の他界による7月だったから。

 

 

こういうことがあるというのは、
看護師時代から覚悟していました。
下手したら、親の死に目にだって
立ち会えるかなんてわからないのが人生だと、
医療の現場で常々感じていたから。

 

 

 

そう感じていても、
私は後悔しない生き方なんて、
同時できていなくて、
今何かあったら、後悔するなぁ・・・
ってことがたくさんありました。

 

 

 

だけど、オーストラリアに来て、
実家からの距離は日本の
東京よりも遠いのに、
当時以上に日本に帰り、
家族との時間を大切にできている私がいます。

 

 

 

私の信念や、大切なことを
大切にしながら生きることが
できるようになってきた
ここ数年の変化。

 

 

正直まだまだですが、
それでも前進している。
理想のライフスタイルが
現実へと変化しているのを感じています。

 

 

 

だから、私は、
これからもそうやって生きていくし、
同じように感じられる人を
サポートできる人でありたい。

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