イタリア:自分の喜びを満たすからこそ手放し、進む準備ができる。

ブリスベンのライフコーチ

河合ゆうきです^^

私の人生のバイブルとなった1冊『食べて、祈って、恋をして』

 

この本は、著者であるエリザベス・ギルバート自身の経験をもとに書かれた本です。

映画では語られていない、エリザベスの深い気づき、洞察を原作からお届けしていくシリーズ。

映画だけではわからない「食べて、祈って、恋をして」の世界

本日は第2回目のイタリア編後半です!

喜びを定義出来たら、とことん満たしその感情を味わうこと!

イタリアでリズにとっての喜びは

食べることイタリア語を話すこと

その探究をとことん始めていくリズは軽やかです。

時にセンチメンタルな記憶とともに、これまでの価値観や生き方を眺めながら、

もう古くて不必要なものは手放す方向へと進んでいきます。

 

このリズの変化からは、喜びで満たしていくことによって、

手放すことや次に進む準備ができるのだということが見えてきます。

喜びを満たすごとに、何かを手放せる自分になる。

ただ散歩をする一日を過ごしたリズはこんな気づきを得ています。

わたしはアウグストゥス廟を眺めながら、結局、わたしの人生なんて、そんなに渾沌としているわけれはないな、と思う。

渾沌としているのはこの世界であって、誰もが予測できなかったような変化をわたしたちにもたらす。

自分は何者で、どんな価値観を持ち、なにに属し、どんな役割を果たそうと努めてきたかー

そういったことに関して錆ついた思考にしがみついてはいけない。

アウグストゥス廟はそうわたしに警告しているように思える。

きのうのわたしが誰かにとって輝かしい記念碑だったとしても、明日にはただの花火倉庫になっているかもしれない。

”永遠の都”と称されるこの街においてさえ、人は荒々しく果てしなく押し寄せる変化の波につねに備えていなければならない。

アウグストゥス廟は静かにそれを教えてくれる。

引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」

そして、ナポリで一番のピザ屋でマルゲリータをほおばり、喜びをさらに深く味わうリズは、

ニューヨークでマイナス10キロもやせ細った自分が満たされ、健康で幸せそうな顔をしていることに気づきます。

瞳は輝き、肌も艶々している自分を久々に眺め、感謝の言葉をつぶやくのです。

そんな風に幸福感に満たされるリズは、もう一つの覚悟を決めます。

それは、デーヴィットとの関係をきっぱりと断つこと。

ここで、ローマにたつ直前にリズは母親との新たな関係を見出したことを回想していきます。

家族であってもそれぞれに葛藤を抱え、選択をしているということ

リズにとって母親とは、自立した強い人でした。

誰に頼ることもなく、ひとりで自分の面倒も家族の面倒も見ることができる人。

いつも親密さを求めるタイプではない夫(リズの父親)の、与えたいと思う時だけ与える愛情や思いやりを、文句も言わずに素直に受け入れ、そうでない時は自分のことを淡々とする母親。

リズは、自分はそのようなタイプではないこと、母親のようにはなれず、常に親密な関係をパートナーに求めているということを母親に伝えるのです。

それは、リズがデーヴィットとの関係に憔悴している姿をみた母親が、これまでにない親密さでリズに問いかけてきたニューヨークでのランチのこと。

ギルバート家の会話のルールを一切無視して、単刀直入にデーヴィットとのことを質問してきた母に、リズはありのままを語ったのです。

ありのままを母に語った。彼とのあいだに起こったすべてを、どんなにデーヴィットを愛しているかを。いっしょにいるのにいつも部屋から、ベッドから、このわくせいから消えてしまう男との付き合いがどんなに苦しくて寂しいものかを。

「彼は、あなたの父さんと同じタイプのようね」母は言った。勇気も度量もある告白。

「問題は」とわたしはいった。「わたしが母さんとはちがうってこと。わたしは母さんのようにタフじゃないの。わたしが心から求めるのは、愛する人といつも親密でいること。母さんのようだったら、よかったのに。だったら、デーヴィットともうまくいったのに。だけど、情愛が必要なときにそれが与えられないと、わたしはめちゃくちゃになる」

それに応じた母の言葉はわたしを驚かせた。母はこう言った。「そういったものすべてを、あなたは人との関わりにに求めるのね、リズ? わたしも、そういうものをいつも求めていたわ」

わたしには一瞬、母がテーブルに手を差し出し、ひと握りの弾丸を  ー 幸せな結婚生活にとどまるために、試練に耐えながら母が噛みしめていた弾丸を見せつけられた気がした。母は今も父と幸福に暮らしているが、わたしはそれまで母のこのような一面を見たことがなかった。母がなにを求めたのか、なにを手に入れ損なったのか、なんのために争わないと心に決めたのか、そういうことを想像してみなかった。だが、このとき、わたしの人生観は根っこからぐらりと揺れた。

わたしの求めるものを母も求めていたのだとしたら・・・・・・?

母はこれまでにない親密さを娘に示しつつ、こう言った。「わたしはね、人生で受け取ることを許されるものなんて、本当にごくわずかしかない環境で育ったの。それをわかってくれなくては。あなたとは育った時代も、土地も違うわ」

引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」

リズにとって、母親は立派な女性のモデルのひとつでした。

女性像として母親を取り込んで、そうなれない自分はダメなのだという葛藤を内面に抱えていたことがわかります。

リズの中で、母親とは完璧な存在。

でも、このニューヨークでのランチでそうではなかったことを知ります。

子どもの時に見ていること、感じていることは、本当にそれが全てです。

例えば母や父の言動や振る舞いの背景に、どんなものがあるか?なんて想像はできません。

だけど、私たちが悩んで葛藤しながら、人生の選択をするように、両親もそうやって選択をしていきている人なのです。

この経験からリズは、大切なことは自分が何を選ぶか?であることを見出していきます。

そして、デーヴィットにEメールを送るのです。関係を終わりするために。

まずは手放し空けることの大切さ

デーヴィットからの返信をまつリズ、やはり期待してしまう「行くな!戻ってこい!ぼくは変わる!」という言葉。

そんな期待とは違い、デーヴィットからは理解と未来を祈る、美しい返信が届きます。

この選択をした自分自身についてリズはこのように書いています。

わたしは哀しみに暮れて、コンピューター画面を見つめつづけた。

こうするのが最善だったことは、よくわかっている。

わたしは苦しみを乗り越えた先にある幸福を選んだ。それもわかっている。

計り知れない未来に、まだ正体をあらわさないすてきな贈り物を受け入れる空きをつくったのだ。

わかっている。でもまだ・・・・・・・

デーヴィットを失った哀しみのほうが大きい。

引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」

読み進めていくとわかるのですが、この選択は本当に重要です。

わたしたちは傷つきたくないし、苦しみは避けていきたい。

こういった状況で、いい人が見つかったらこの関係を終わりにしよう。

と考えることは人間の本能としてはありうること。

でも、それでは本当に自分が求めるいい人。と出逢うことはないのです。

宇宙やこの世界の真理として、受け取るためにはスペースを空けることが、まずは必要だからです。

リズはそれをちゃんとしたのです。

リズは、この先の旅で手に入れるもののために、このイタリアで準備をしている。

喜びで満たしてこの先の旅の英気を養う。

抱えすぎている様々なことを手放し、受け取るスペースを空ける。

これがこの旅のもっとも重要な部分であると私は感じています。

食べるように話せの大切な意味

このメールを見た後、リズは英語を教える代わりにイタリア語を教えてもらっている、

ジョヴァンニとの約束があったことを彼からの電話で思い出します。

そしてジョヴァンニと会うのですが、そこで哀しみがあふれリズは号泣します。

状況が理解できないジョヴァンニではあるものの、何かを失ったことを感じとり、じっとリズとともにいてくれるのです。そして、説明する言葉を探すリズに、彼女のお気に入りの言葉を言います。

「パルラ・コメ・マンジ」 ― 「食べるように話せ」

相手に伝える言葉はローマの食事のようにシンプルであれ。たいそうなものを創り上げる必要はなく、ただシンプルにテーブルに並べればいい。

これはありのままに言葉を伝えればよい。という解釈もできると私は感じています。

自分が感じていること、考えていること。

人は伝えようとすると、ついかしこまったり飾りつけをしたくなるものです。

もちろん場によってはそれがピッタリなこともあります。

だけど、悲しみや苦しみ、喜びや嬉しさを伴った言葉を伝えるとき、それは本当にシンプルで良いのかもしれないなと感じます。

誰と比べるのでもなく、すべてを認めて自分を生きるということ

イタリアでは、リズの姉も旅行にやってきます。

姉との時間を過ごしながら、リズは自分と姉の関係や比較して考えてきた時間を回想します。

この時点ではまだ、リズは姉のキャサリンの結婚や仕事、子育てや子どもとの関係と自分を比較して不安定な状態です。

そして、家族はこうであるべきと言う古い価値観や、しきたりについても言及し、それらにもとらわれている自分にも気づいています。

しかし、それをもうやめようとしていく姿が、このイタリアで見えてきます。

その方法はまだわからなくとも、そこから見切りをつけていく意思を固めていくのです。

ヴァージニア・ウルフは書いている ― ゛女の人生という広大な大地に、剣の影が落ちている “ 。その剣の片側は、しきたりと伝統と秩序が支配する゛ことごとく正しい ” 世界。しかし、常軌を逸した考えを起こして境界を越え、しきたりに縛られない人生を選ぶなら、剣の影のもう一方の側は゛すべてが渾沌としている。何事も当たり前には進まない ” 。つまり、ウルフが主張するのは、剣の影を越えることは、ひとりの女の人生をはるかにおもしろいものにする、しかし間違いなく危険は増す、ということだ。

中略

古代インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』には、誰かのまねごとの人生を完璧に生きるより、自分自身の人生を不器用に生きるほうがいい、と記されている。

そう、わたしも自分の人生は自分で選ぼう。不器用でぶざまに見えるかもしれないが、それがとてもわたしに似つかわしい。

だからともかく、すべてを認めることにした。

引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」

 

すべてを認める。ということは、比較している自分も、不安定な自分も、今のそんな自分をすべて認めていくこと。

否定も肯定もせず、そういう自分。としてまずは認めることで、人は次の一歩を見出していきます

そして、姉との旅の後、気の向くままに旅をします。

その時間がリズに与えてくれる解放感と、自由を求める心と現実が折り合いをつけだしたことを感じていきます。

旅の中で出逢う人と、リズはイタリア語で会話をしていくのですが、その中でリズは、自分がイタリア語で長い会話ができることに気づきます。

翻訳ではなく、しゃべる。という次元に入ったことを実感し、喜び満たされるリズ。

旅をして、おいしいものを食べ、イタリア語をじゃべる。

これこそがリズが自分を満たすために必要な時間、4ヶ月だったのです。

そして、この先に続く、真に深く自分と向き合っていく旅の準備でもあったのです。

わたしは痩せ細って、やつれた姿でイタリアにやってきた。そのときのはまだ自分がなにを受けるに値するのかわかっていなかった。

いまもなお、完全にわかっているとは言いがたいけれど、それでも、たわいもない喜びを深く味わうことを通して、自分を立て直し、ようやく前よりも健やかな自分になれたような気がした。

人がそのような状態にあることを最も端的に示すもの ― それは目方が増えるということだ。イタリア四カ月めのわたしは、この国に来たときより体重を増やしていた。やってきたときより、誰の目から見ても明らかに嵩を増やして、イタリアを去ることになった。この身体の膨張が ― 人としてひとまわりおおきくなることが ― この世界において価値ある行為だと念じつつ、ここから旅立とう。

どんな人生だろうが、生きられるのは一回きり、誰のものでもない、このわたしの人生なのだから。

引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」

 

イタリアでは真に自分に向き合う覚悟と準備を手に入れた

リズのこのイタリアの旅は、

憔悴しきっていたリズ自身を満たし、

これまでの延長ではない人生を生きるため、

本来の自分と向き合うための準備期間。

 

イタリア後半のポイントは、

本来の自分に向き合うためには、英気を養うことが必要である。

自分に向き合うとは覚悟が必要なことでもあるから。

 

本当の幸せや、愛を受け取るためには、まずはそのスペースを創ることが必要。

抱えているもの、もういらないもの、関係、感情を手放すからこそ、

本当に欲しいもの、必要なもの、満たしてくれるものがわかり、受け取ることができるようになる。

 

この後に続くインドの旅では、自分の内面世界と深く向き合い、

自分の人生を苦しめている、内なるコントロールやジャッジ、様々なルールを手放す段階へと進んでいきます。

人は認められたい、コントロールしたいという欲求を誰もが持っていますが、それらによって自分を苦しめてしまう。

そういったものを手放す修行となるのが、次なるインドなのです。

 

次回はインド編に突入します!

 

 

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