インド:愛と支配の問題。リズが直面する真実。

ブリスベンのライフコーチ

河合ゆうきです^^

私の人生のバイブルとなった1冊『食べて、祈って、恋をして』

 

この本は、著者であるエリザベス・ギルバート自身の経験をもとに書かれた本です。

映画では語られていない、エリザベスの深い気づき、洞察を原作からお届けしていくシリーズ。

映画だけではわからない「食べて、祈って、恋をして」の世界

本日は第3回目のインド編前編です!

インドのストーリーは、映画は原作のエッセンスを組みながらドラマチックに仕上げられています。

原作では、ヨーガや精神世界の探求についての記述も多く、リズがなぜインドのアシュラムでの修行を選び、心の安寧を手に入れていったのか?が深く描かれています。

リズの内面が深く描写されており、女性なら共感できるポイントもたくさんあるはずです。

ヨーガの修業が目指すもの

イタリアで自分を満たしたリズは、インドへ到着します。

イタリアにいた時は、全くヨガも瞑想もしなかったリズ。

それでも、リズの中でいんとの目的は明確です。

インドのムンバイ空港からアシュラムへ向かい、まるでずっと前からそこにいたかのように瞑想の輪に加わりインドの日々が始まります。

なぜ、ヨーガの修業を行うのか?

サンスクリット語の「ヨーガ」は「結びつき」と訳されます。ヨーガにおける日々の務めとは、結びつきを見つけること。

それは、心と身体、個人と神の、思考とその根源、自分が持っている価値観とその根源、

自分と家族、自分と大切なあの人、今の自分とそれを形成したすべての事柄・・・

真のヨーガとは、結びつきを見つけるとともに、自分以外の他(他の宗教、価値観、生き方など)を敵視することもせず、排除することもしない。

ありのままの自分、そしてありのままの他をそのまま受け入れていく。

そして、ヨーガは人間が抱えている小さな乱れを整えていく修行の道でもあります。

リズは、この小さな乱れを「満たされない心の苦しみ」と定義しています。

ヨーギたちは、人間が不満な状態に陥るのは、自己認識の誤りによるものだと考える。

人がみじめな気持ちになるのは、自分がひとりきりで不安や失敗や怒りや死への恐れを抱えていると思い込んでいるからだ。

わたしたちは、限りのあるちっぽけなエゴが、自分という存在の本質を決めていると誤解し、内なる神を見失って、みずからのどこかに、至高の存在(サブリーム・セルフ)が宿っていることにも気づいていない。

その至高の存在こそが、本来の自分であり、万物の、神の実在であるにもかかわらず、人はその真実に気づかず、とかく絶望に陥りがちだ、とヨーギたちは言う。

中略

ヨーガとは、それぞれの内なる神性を体験し、その体験を永遠につなぎとめておこうとする努力のことだ。

ヨーガとは過去についてくよくよ悩んだり、未来について絶えず気に病んだりすることから関心を引き離すために、自分を律して、たゆまぬ努力を続けることだ。

そうすれば、永遠なるものの居場所が見つかり、そこから自分と周囲の環境を落ち着いて眺めることができる。

この平らかな境地からしか、この世界(と自分自身)の本質は見えてこない。

引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」

 

つまり、ヨーガの修業とは、

自分自身の精神を、過去や未来ではなく、今ここに向け、

本来の自分自身と繋がり、

その状態で日々を過ごし、世界をとらえていく

ということなのです。

 

そして、この修行にはこの世に生きている精神の師を見つけることが必要とされ、

リズにとってのこの師が、ニューヨークのデーヴィッドのアパートメントで出逢ったインド人女性の写真だったのです。

リズはこのグルに導かれるように、ヨーガや瞑想を始め、インドのアシュラムにもやってきたのです。

思考の奴隷からの解放を目指す

インドのアシュラムでの修業は、「神に語りかける祈り」と「神の声に耳を傾ける瞑想」を中心に行われます。

リズは、この瞑想が最初はとにかく苦手と語ります。

それは、思考と言う仏教徒が「心の猿」と呼ぶ存在が鎮まることがないからです。

そしてその思考とともに引きずり出されるのが感情であり、引きずり出されるという表現のごとく、その感情は過去のものが多いのです。

結局、人はみずからの思考に振りまわされる生きものだ。感情は思考の奴隷であり、人は感情の奴隷である。

思考の蔓を行きつ戻りつすることのもう一つの問題点は、自分のいるべき場所が定まらないということだ。

しょっちゅう過去をほじくったり、未来をつついたりして、現在にとどまっていられない。

引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」

 

リズは、瞑想に取り組む最中の思考とのやり取りも面白く書き綴っています。

そんな風に、瞑想と格闘しながら、アシュラムの日々をスタートさせたリズは、テキサスのリチャードに出逢います。

リチャードがリズにつけたあだ名は「バクショク」。

イタリアの流れを持ち込み、ごはんをたくさん食べていた彼女をみて名付けています。

このリチャード。原作のリチャードと映画の彼はちょっと違う感じです。

リズが瞑想での悩みを打ち明けた際、リチャードはこんな風にアドバイスをしています。

「わたしの瞑想には、なにが欠けているのかしら?」

「なんで、まだなにかやらなくちゃならないことがあるって考えてるんだ、バクショク?」

「瞑想がぜんぜんうまくいかないからよ」

「誰がそう言う?」

「わたしよ。心(マインド)をおとなしくさせることができないの」

「グルの教えを思い出すといい。純粋な志を持って瞑想を始めるのなら、その後に何が起きるかは、あなたの問題ではない―――。あんたは、なんで自分の経験に自分で評価を下そうとするんだ?」

「わたしの瞑想中に起こることって、ここのヨーガ修行にあるまじきことだと思うから」

「なあ、バクショク。なんで、ここで起こるべきことを最初から決めたがる?なにがあったっていいじゃねえか」

「なにかが見えたことなんて一度もない。超越体験なんて一度も・・・・」

「色彩の乱舞を見たいのか?それとも、自分自身の真実を知りたいのか?どうしたい?」

「瞑想しようと努力しても、いつも自分と言い合いになるだけ」

「それは自我だな。あんたの自我がすべてを取り仕切っていると確かめたがっている。あんたの自我が、あんたの感情を引き裂き、相反する感情が対立しているかのように見せかけている。そうしてあんたに、自分はなにか足りない、なにか壊れている、全体とひとつになれない孤独な人間だと思いこませようとしている。」

「でも、なんのために?」

「なんのためもありゃしねえ。あんたに使えるのが、自我の仕事じゃないからな。そいつの仕事は、自分の力を維持することだけさ。そいつはいま、死ぬんじゃないかとおびえている。なぜって、前よりサイズが小さくなっているからさ、ベイビー。あんたがこのまま精神の修業をつづけていけば、自我が悪さをすることも減っていくだろう。そのうち、自我は引退して、あんたのこころ(ハート)がすべてを決めるようになるだろう。だからいま、自我は生き残りのために闘っている。あんたの心(マインド)と結託して権威をひけらかし、あんたをこの世界から引き離し、小さな檻に追いこもうとしている。だから、そいつの言うことに、耳を傾けちゃいけねえんだ」

「どうしたら、耳を傾けずにいられる?」

「子どもからおもちゃを取りあげようとしたことあるか?いやがるだろう?足をばたばたさせて、わめきやがる。子どもからおもちゃを取りあげるいちばんの方法は、代わりに遊べるものを与えることさ。気を逸らしてやるんだ。あんたの頭から力ずくで考え事を取りあげようとするんじゃなくて、あんたの心に代わりに遊べるものを与えてやるわけさ。もうちっと健やかなやつをな」

「たとえばどんな?」

「たとえば愛さ、バクショク。純粋な神の愛みたいなものをさ」

引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」

この翌日、リズはリチャードの教えを試みます。

そして、初めて瞑想による超越的な体験の入り口に立ちます。

しかし、まだ思考との葛藤はその後も続いていくのです。

仕切りたがり屋である自分という真実

イタリア滞在中に、デーヴィットとの関係を断ったリズ。

しかし、心の中ではまだ未練があり、想いがあり、その傷は癒えていません。

そしてその傷に触れるたびに、元夫との離婚やデーヴィットとの関係、過去の様々な記憶と感情がリズを襲うのです。

過去の未消化の感情は、姿や形を変えながら、リズの中をふつふつと煮えたぎらせ、時に哀しみに暮れさせ、すさまじい力でリズを引き裂こうとしていきます。

そしてそんな自分への自己嫌悪も感じながら過ごしている中、勇敢なるテキサスのリチャードが、リズに話しかけ、リズの話を聴いてくれるのです。

リズは、デーヴィットはソウルメートだから、彼との別れから立ち直ることが難しいのだと言います。

リチャードは、真のソウルメートは鏡となって、自分が隠しているものを見せてくれる相手であり、それに気づかせることで人生を変えてしまうような相手だといいます。

そして、その役目を終えたら人生から去っていくとも。

それを追うのではなく、感謝し自分と自分の人生に向き合い真の愛や幸福を手に入れる人生へと進まなくてはならないと伝えます。

そのやり取りに中で、リズはまた新たな真実にも直面します。

「でも、彼を愛してる」

「なら、愛せばいい」

「でも、彼が恋しい」

「なら、恋しがればいい。彼のことを考えるたびに、愛と光を彼に送るんだ。そして捨てちまえ。

あんたは、デーヴィッドの最後のかけらが消えちまうのを恐れてる。なぜって、そうなると、本当にひとりきりになっちまうからだ。

そしてリズ・ギルバートは、本当にひとりきりになったとき、自分になにが起こるのか、それに死ぬほどおびえている。

だがな、これだけは言えるぞ、バクショク。

もし、あんたがいま、その男に執着している心の一角を空っぽにしたら、そこにはぽっかりと空白が、空きスペースができる_____それが入り口になる。

宇宙はその入り口をどうすると思う?

入ってくるんだよ。

なだれこんでくる、宇宙が、神が。そして、あんたが夢にも思わなかったような愛であんたを満たす。

だから、その入り口をふさぐのに、デーヴィットを使うのはやめちまえ。

去っていくのにまかせればいい」

中略

「言わせてもらうが、バクショク、あんたは救いようのない仕切り屋だ。」

その指摘に、わたしのなかで怒りにかっと火がついた。救いようのない仕切り屋?このわたしが?

侮辱された気がして、リチャードの頬を引っぱたきそうになった。

でもすぐに、その怒りの強烈さこそ、彼の指摘が真実である証拠だと気づいた。

まぎれもない、大当たり、笑ってしまうほどの真実。

リチャードの言っていることは全面的に正しい。

「あなたは、全面的に正しい」とわたしは言った。

引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」

 

キャリアも人生もそれまでは思った通りになっていた。

ところが、結婚した夫、決断した離婚、その後のデーヴィットとの関係・・・人生は思い通りにいかなくなってしまった。

計画通りに進んできたリズにとって、その状況は混乱でしかなかったのです。

だけど、人生は計画通りになんていかないもの。

なりゆきに任せる。ということも時には必要なのです。

自分がコントロールできる部分と、そうでない部分の境界線を知ること、コントロールを手放すことこそ、リズに必要なステップだったのです。

10歳で気づいた人生は死に向かっているという事実

そうして、リズは自分の過去を回想します。

10歳になったとき、自分の人生の時間が刻一刻と死に向かっていることに気づき、衝撃を受けたこと。

そして、一瞬一秒も無駄にならないように生きなければ!と、

無意識にそうし始める人生へと進んでいったこと。

最高速で駆け抜けるような人生、

限りある人生の時間なのだから、

全力で旅も、恋も仕事も、夢も!と生きてきたのです。

人生の一瞬一瞬を無駄にしないようにと、

まるで分身術でも身に着けたかのように、一つ一つを真剣に、ものすごい勢いでやってきた。

でも、30代を迎え、疲労困憊な自分に気づいたのが、あの始まりのバスルームだったのです。

この真実に気づき、それまで

自分がこの宇宙をもコントロールしているかのように生きてきたリズは、

なりゆきに身を任せるという無謀にも映る術を、

今こそとらなくてはならないのかもと気づいていきます。

 

ただ静かに座り、絶え間ない干渉や介入を辞めること。

何が起こるかを観察すること。

 

それこそが、今必要なことなのかもしれないと、気づいていくのでした。

それは愛と支配に関する問題

それは、人間が争う原因となる二つのもの。

愛と支配に関する問題。

それが、リズが前に進むことを阻んでいる。

それを自覚し、そこを越えていきたいリズは、自分の中でざわめく自我を愛と言う力で沈めていくのです。

そんな沈黙を勝ち取った瞑想の後、リズはリチャードとサムズアップでお祝いをするのでした。

きっとみんな感じている課題と向き合っているリズ

原作の中では、リチャードの存在は、リズにとってガイドのよう。

リズに本質的な課題を見出し、向き合う手助けをしてくれる存在です。

リズがインドで向き合う、思考、自我との課題

これはリズだけの課題ではなく、私たちの多く共通していることだと感じます。

私自身、自分に向き合うことを始めた時、26歳から瞑想を始めました。

当初、鎮まらない自分の内側に苦戦し、戦おうとしていた時期もありました。

しかし、共存すること、排除ではなく、自分に一部として光を当てるようになってから、私の思考や自我が鎮まるようになったことを覚えています。

また、コントロール欲求もまた、人は共通して持っているものです。

ただ、

自分がコントロールできること、そうでないことを理解しているか?

その境界線を越えてジタバタしていないか?

ここがポイントです。

 

人間関係や、人生の様々な結果に対して、悩んだりイライラしたり、

一喜一憂して感情に振り回されているように感じる場合は、

このコントロールについて一度向き合ってみる必要があります。

 

自分がコントロールできないことは変えられないし、そこに執着しても何も変わらないのです。

自分が苦しくなるだけ。

それに気づき、手放すことが出来た瞬間から、自分の周りの現実は変化していきます。

リチャードが行っているように、スペースを空けること、入り口を持つことが大切なのです。

 

次回は、祈りと向き合うリズのインド編後半をお届けします!

 

 

 

 

本来のあなたに繋がり、あなたの喜び、幸せを生きる人生にシフトする。

 
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