映画だけではわからない『食べて、祈って、恋をして』

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私のオーストラリアは「食べて、祈って、恋をして」だった。

ブリスベンから ライフコーチの河合ゆうきです^^ 最近、「ヒロインの旅」の読書会6月期が盛り上がっていて、 私自身、あらためて自分の人生の中で経験のとらえ方が変わったり、 愛や感謝に気づいたりする出来事がたくさんあります。   そして、本来の自分で生きると決めてからも、 まだ不安で偽ろうとしてしまう自分との葛藤がほどけていくような 温かなエピソードもたくさん経験しています。   言葉としてシェアする。 エネルギーとして表現してこの世界に放つことは、 共鳴して集まるご縁があり、 そこから喜びや幸せ、豊かさや癒しが起こるのだと感じています。   今、こんな気持ちで生きている私ですが、 20代の時は、「何か満たされない心、人生」の痛みを感じながら、 どうすればいいのだろう?と悩んだり、もがいたりしていました。   そんな時、私の人生に登場し、妙に惹かれて気になったのが、 映画「食べて、祈って、恋をして」でした。   私に必要なのはこんな旅なのかもしれない。   そんな風に感じつつも、当時は看護師として忙しい日常の中、真剣に考えることもなく、流していたのです。   だけど、今振り返れば、あの気づき、感覚は未来からのメッセージだったのかもしれません。   その後、映画の原作を読み、より深く共感し、 私はそれまでの日常をすべて白紙にする選択をすることになりました。   そこから、私の探求の旅が始まるのですが・・・・   そんな私のストーリーも含めて、 この「食べて、祈って、恋をして」に惹かれているすべての人とともに、 自分が心から満たされる生き方、喜びを探求し、 内省と言う自分との向き合い方を学び、 真の自分の喜びを生きるバランスを学ぶ そんな旅について語る会を開催します。   旅が大好き、今ひとり旅をしたいあなたへ   旅に出て、自分を探したいと感じたことはありませんか?    今いる環境から逃げ出したい。何かを変えたいという衝動を感じたことは?   自由に旅をして、自分らしく活き活きしている人を羨ましく感じますか?     今、あなたに必要なことは、       「自分と本来の自分の幸せに気づく旅」     そして、そのガイドです。     Eat Pray Love 「食べて、祈って、恋をして」   2010年に公開された、ジュリア・ロバーツ主演   『食べて、祈って、恋をして』を知っていますか?     この映画に多くの女性が惹かれた理由。   それは、この映画の主人公であるエリザベス・ギルバートが、   人生で積み重ねてきた全てを手放し、   自分を探す旅に出る姿、   旅でのレッスンから   自分らしく幸せに生きることを学び、   心から満たされる幸せな人生へとシフトしていく姿に共感したからでしょう。     さらなる内面の葛藤、   女性ならではの悩みとその解決法などは、   原作である   『食べて、祈って、恋をして~女が直面するあらゆること探求の書』   で語られているのです。       そう、この物語は、   著者である   エリザベス・ギルバートが   本当に経験した人生の旅のお話です。     ひとりの女性が、   人生の全てを一度置き、   自らを探求する旅をする。…

映画だけではわからない『食べて、祈って、恋をして』

インド:愛と支配の問題。リズが直面する真実。

ブリスベンのライフコーチ 河合ゆうきです^^ 私の人生のバイブルとなった1冊『食べて、祈って、恋をして』   この本は、著者であるエリザベス・ギルバート自身の経験をもとに書かれた本です。 映画では語られていない、エリザベスの深い気づき、洞察を原作からお届けしていくシリーズ。 映画だけではわからない「食べて、祈って、恋をして」の世界 本日は第3回目のインド編前編です! インドのストーリーは、映画は原作のエッセンスを組みながらドラマチックに仕上げられています。 原作では、ヨーガや精神世界の探求についての記述も多く、リズがなぜインドのアシュラムでの修行を選び、心の安寧を手に入れていったのか?が深く描かれています。 リズの内面が深く描写されており、女性なら共感できるポイントもたくさんあるはずです。 ヨーガの修業が目指すもの イタリアで自分を満たしたリズは、インドへ到着します。 イタリアにいた時は、全くヨガも瞑想もしなかったリズ。 それでも、リズの中でいんとの目的は明確です。 インドのムンバイ空港からアシュラムへ向かい、まるでずっと前からそこにいたかのように瞑想の輪に加わりインドの日々が始まります。 なぜ、ヨーガの修業を行うのか? サンスクリット語の「ヨーガ」は「結びつき」と訳されます。ヨーガにおける日々の務めとは、結びつきを見つけること。 それは、心と身体、個人と神の、思考とその根源、自分が持っている価値観とその根源、 自分と家族、自分と大切なあの人、今の自分とそれを形成したすべての事柄・・・ 真のヨーガとは、結びつきを見つけるとともに、自分以外の他(他の宗教、価値観、生き方など)を敵視することもせず、排除することもしない。 ありのままの自分、そしてありのままの他をそのまま受け入れていく。 そして、ヨーガは人間が抱えている小さな乱れを整えていく修行の道でもあります。 リズは、この小さな乱れを「満たされない心の苦しみ」と定義しています。 ヨーギたちは、人間が不満な状態に陥るのは、自己認識の誤りによるものだと考える。 人がみじめな気持ちになるのは、自分がひとりきりで不安や失敗や怒りや死への恐れを抱えていると思い込んでいるからだ。 わたしたちは、限りのあるちっぽけなエゴが、自分という存在の本質を決めていると誤解し、内なる神を見失って、みずからのどこかに、至高の存在(サブリーム・セルフ)が宿っていることにも気づいていない。 その至高の存在こそが、本来の自分であり、万物の、神の実在であるにもかかわらず、人はその真実に気づかず、とかく絶望に陥りがちだ、とヨーギたちは言う。 中略 ヨーガとは、それぞれの内なる神性を体験し、その体験を永遠につなぎとめておこうとする努力のことだ。 ヨーガとは過去についてくよくよ悩んだり、未来について絶えず気に病んだりすることから関心を引き離すために、自分を律して、たゆまぬ努力を続けることだ。 そうすれば、永遠なるものの居場所が見つかり、そこから自分と周囲の環境を落ち着いて眺めることができる。 この平らかな境地からしか、この世界(と自分自身)の本質は見えてこない。 引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」   つまり、ヨーガの修業とは、 自分自身の精神を、過去や未来ではなく、今ここに向け、 本来の自分自身と繋がり、 その状態で日々を過ごし、世界をとらえていく ということなのです。   そして、この修行にはこの世に生きている精神の師を見つけることが必要とされ、 リズにとってのこの師が、ニューヨークのデーヴィッドのアパートメントで出逢ったインド人女性の写真だったのです。 リズはこのグルに導かれるように、ヨーガや瞑想を始め、インドのアシュラムにもやってきたのです。 思考の奴隷からの解放を目指す インドのアシュラムでの修業は、「神に語りかける祈り」と「神の声に耳を傾ける瞑想」を中心に行われます。 リズは、この瞑想が最初はとにかく苦手と語ります。 それは、思考と言う仏教徒が「心の猿」と呼ぶ存在が鎮まることがないからです。 そしてその思考とともに引きずり出されるのが感情であり、引きずり出されるという表現のごとく、その感情は過去のものが多いのです。 結局、人はみずからの思考に振りまわされる生きものだ。感情は思考の奴隷であり、人は感情の奴隷である。 思考の蔓を行きつ戻りつすることのもう一つの問題点は、自分のいるべき場所が定まらないということだ。 しょっちゅう過去をほじくったり、未来をつついたりして、現在にとどまっていられない。 引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」   リズは、瞑想に取り組む最中の思考とのやり取りも面白く書き綴っています。 そんな風に、瞑想と格闘しながら、アシュラムの日々をスタートさせたリズは、テキサスのリチャードに出逢います。 リチャードがリズにつけたあだ名は「バクショク」。 イタリアの流れを持ち込み、ごはんをたくさん食べていた彼女をみて名付けています。 このリチャード。原作のリチャードと映画の彼はちょっと違う感じです。 リズが瞑想での悩みを打ち明けた際、リチャードはこんな風にアドバイスをしています。 「わたしの瞑想には、なにが欠けているのかしら?」 「なんで、まだなにかやらなくちゃならないことがあるって考えてるんだ、バクショク?」 「瞑想がぜんぜんうまくいかないからよ」 「誰がそう言う?」 「わたしよ。心(マインド)をおとなしくさせることができないの」 「グルの教えを思い出すといい。純粋な志を持って瞑想を始めるのなら、その後に何が起きるかは、あなたの問題ではない―――。あんたは、なんで自分の経験に自分で評価を下そうとするんだ?」 「わたしの瞑想中に起こることって、ここのヨーガ修行にあるまじきことだと思うから」 「なあ、バクショク。なんで、ここで起こるべきことを最初から決めたがる?なにがあったっていいじゃねえか」 「なにかが見えたことなんて一度もない。超越体験なんて一度も・・・・」 「色彩の乱舞を見たいのか?それとも、自分自身の真実を知りたいのか?どうしたい?」 「瞑想しようと努力しても、いつも自分と言い合いになるだけ」 「それは自我だな。あんたの自我がすべてを取り仕切っていると確かめたがっている。あんたの自我が、あんたの感情を引き裂き、相反する感情が対立しているかのように見せかけている。そうしてあんたに、自分はなにか足りない、なにか壊れている、全体とひとつになれない孤独な人間だと思いこませようとしている。」 「でも、なんのために?」 「なんのためもありゃしねえ。あんたに使えるのが、自我の仕事じゃないからな。そいつの仕事は、自分の力を維持することだけさ。そいつはいま、死ぬんじゃないかとおびえている。なぜって、前よりサイズが小さくなっているからさ、ベイビー。あんたがこのまま精神の修業をつづけていけば、自我が悪さをすることも減っていくだろう。そのうち、自我は引退して、あんたのこころ(ハート)がすべてを決めるようになるだろう。だからいま、自我は生き残りのために闘っている。あんたの心(マインド)と結託して権威をひけらかし、あんたをこの世界から引き離し、小さな檻に追いこもうとしている。だから、そいつの言うことに、耳を傾けちゃいけねえんだ」 「どうしたら、耳を傾けずにいられる?」 「子どもからおもちゃを取りあげようとしたことあるか?いやがるだろう?足をばたばたさせて、わめきやがる。子どもからおもちゃを取りあげるいちばんの方法は、代わりに遊べるものを与えることさ。気を逸らしてやるんだ。あんたの頭から力ずくで考え事を取りあげようとするんじゃなくて、あんたの心に代わりに遊べるものを与えてやるわけさ。もうちっと健やかなやつをな」 「たとえばどんな?」 「たとえば愛さ、バクショク。純粋な神の愛みたいなものをさ」 引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」 この翌日、リズはリチャードの教えを試みます。 そして、初めて瞑想による超越的な体験の入り口に立ちます。 しかし、まだ思考との葛藤はその後も続いていくのです。 仕切りたがり屋である自分という真実 イタリア滞在中に、デーヴィットとの関係を断ったリズ。 しかし、心の中ではまだ未練があり、想いがあり、その傷は癒えていません。 そしてその傷に触れるたびに、元夫との離婚やデーヴィットとの関係、過去の様々な記憶と感情がリズを襲うのです。 過去の未消化の感情は、姿や形を変えながら、リズの中をふつふつと煮えたぎらせ、時に哀しみに暮れさせ、すさまじい力でリズを引き裂こうとしていきます。 そしてそんな自分への自己嫌悪も感じながら過ごしている中、勇敢なるテキサスのリチャードが、リズに話しかけ、リズの話を聴いてくれるのです。 リズは、デーヴィットはソウルメートだから、彼との別れから立ち直ることが難しいのだと言います。 リチャードは、真のソウルメートは鏡となって、自分が隠しているものを見せてくれる相手であり、それに気づかせることで人生を変えてしまうような相手だといいます。 そして、その役目を終えたら人生から去っていくとも。 それを追うのではなく、感謝し自分と自分の人生に向き合い真の愛や幸福を手に入れる人生へと進まなくてはならないと伝えます。 そのやり取りに中で、リズはまた新たな真実にも直面します。 「でも、彼を愛してる」 「なら、愛せばいい」 「でも、彼が恋しい」 「なら、恋しがればいい。彼のことを考えるたびに、愛と光を彼に送るんだ。そして捨てちまえ。 あんたは、デーヴィッドの最後のかけらが消えちまうのを恐れてる。なぜって、そうなると、本当にひとりきりになっちまうからだ。 そしてリズ・ギルバートは、本当にひとりきりになったとき、自分になにが起こるのか、それに死ぬほどおびえている。 だがな、これだけは言えるぞ、バクショク。 もし、あんたがいま、その男に執着している心の一角を空っぽにしたら、そこにはぽっかりと空白が、空きスペースができる_____それが入り口になる。 宇宙はその入り口をどうすると思う? 入ってくるんだよ。 なだれこんでくる、宇宙が、神が。そして、あんたが夢にも思わなかったような愛であんたを満たす。 だから、その入り口をふさぐのに、デーヴィットを使うのはやめちまえ。 去っていくのにまかせればいい」 中略…

映画だけではわからない『食べて、祈って、恋をして』

イタリア:自分の喜びを満たすからこそ手放し、進む準備ができる。

ブリスベンのライフコーチ 河合ゆうきです^^ 私の人生のバイブルとなった1冊『食べて、祈って、恋をして』   この本は、著者であるエリザベス・ギルバート自身の経験をもとに書かれた本です。 映画では語られていない、エリザベスの深い気づき、洞察を原作からお届けしていくシリーズ。 映画だけではわからない「食べて、祈って、恋をして」の世界 本日は第2回目のイタリア編後半です! 喜びを定義出来たら、とことん満たしその感情を味わうこと! イタリアでリズにとっての喜びは 食べることとイタリア語を話すこと。 その探究をとことん始めていくリズは軽やかです。 時にセンチメンタルな記憶とともに、これまでの価値観や生き方を眺めながら、 もう古くて不必要なものは手放す方向へと進んでいきます。   このリズの変化からは、喜びで満たしていくことによって、 手放すことや次に進む準備ができるのだということが見えてきます。 喜びを満たすごとに、何かを手放せる自分になる。 ただ散歩をする一日を過ごしたリズはこんな気づきを得ています。 わたしはアウグストゥス廟を眺めながら、結局、わたしの人生なんて、そんなに渾沌としているわけれはないな、と思う。 渾沌としているのはこの世界であって、誰もが予測できなかったような変化をわたしたちにもたらす。 自分は何者で、どんな価値観を持ち、なにに属し、どんな役割を果たそうと努めてきたかー そういったことに関して錆ついた思考にしがみついてはいけない。 アウグストゥス廟はそうわたしに警告しているように思える。 きのうのわたしが誰かにとって輝かしい記念碑だったとしても、明日にはただの花火倉庫になっているかもしれない。 ”永遠の都”と称されるこの街においてさえ、人は荒々しく果てしなく押し寄せる変化の波につねに備えていなければならない。 アウグストゥス廟は静かにそれを教えてくれる。 引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」 そして、ナポリで一番のピザ屋でマルゲリータをほおばり、喜びをさらに深く味わうリズは、 ニューヨークでマイナス10キロもやせ細った自分が満たされ、健康で幸せそうな顔をしていることに気づきます。 瞳は輝き、肌も艶々している自分を久々に眺め、感謝の言葉をつぶやくのです。 そんな風に幸福感に満たされるリズは、もう一つの覚悟を決めます。 それは、デーヴィットとの関係をきっぱりと断つこと。 ここで、ローマにたつ直前にリズは母親との新たな関係を見出したことを回想していきます。 家族であってもそれぞれに葛藤を抱え、選択をしているということ リズにとって母親とは、自立した強い人でした。 誰に頼ることもなく、ひとりで自分の面倒も家族の面倒も見ることができる人。 いつも親密さを求めるタイプではない夫(リズの父親)の、与えたいと思う時だけ与える愛情や思いやりを、文句も言わずに素直に受け入れ、そうでない時は自分のことを淡々とする母親。 リズは、自分はそのようなタイプではないこと、母親のようにはなれず、常に親密な関係をパートナーに求めているということを母親に伝えるのです。 それは、リズがデーヴィットとの関係に憔悴している姿をみた母親が、これまでにない親密さでリズに問いかけてきたニューヨークでのランチのこと。 ギルバート家の会話のルールを一切無視して、単刀直入にデーヴィットとのことを質問してきた母に、リズはありのままを語ったのです。 ありのままを母に語った。彼とのあいだに起こったすべてを、どんなにデーヴィットを愛しているかを。いっしょにいるのにいつも部屋から、ベッドから、このわくせいから消えてしまう男との付き合いがどんなに苦しくて寂しいものかを。 「彼は、あなたの父さんと同じタイプのようね」母は言った。勇気も度量もある告白。 「問題は」とわたしはいった。「わたしが母さんとはちがうってこと。わたしは母さんのようにタフじゃないの。わたしが心から求めるのは、愛する人といつも親密でいること。母さんのようだったら、よかったのに。だったら、デーヴィットともうまくいったのに。だけど、情愛が必要なときにそれが与えられないと、わたしはめちゃくちゃになる」 それに応じた母の言葉はわたしを驚かせた。母はこう言った。「そういったものすべてを、あなたは人との関わりにに求めるのね、リズ? わたしも、そういうものをいつも求めていたわ」 わたしには一瞬、母がテーブルに手を差し出し、ひと握りの弾丸を  ー 幸せな結婚生活にとどまるために、試練に耐えながら母が噛みしめていた弾丸を見せつけられた気がした。母は今も父と幸福に暮らしているが、わたしはそれまで母のこのような一面を見たことがなかった。母がなにを求めたのか、なにを手に入れ損なったのか、なんのために争わないと心に決めたのか、そういうことを想像してみなかった。だが、このとき、わたしの人生観は根っこからぐらりと揺れた。 わたしの求めるものを母も求めていたのだとしたら・・・・・・? 母はこれまでにない親密さを娘に示しつつ、こう言った。「わたしはね、人生で受け取ることを許されるものなんて、本当にごくわずかしかない環境で育ったの。それをわかってくれなくては。あなたとは育った時代も、土地も違うわ」 引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」 リズにとって、母親は立派な女性のモデルのひとつでした。 女性像として母親を取り込んで、そうなれない自分はダメなのだという葛藤を内面に抱えていたことがわかります。 リズの中で、母親とは完璧な存在。 でも、このニューヨークでのランチでそうではなかったことを知ります。 子どもの時に見ていること、感じていることは、本当にそれが全てです。 例えば母や父の言動や振る舞いの背景に、どんなものがあるか?なんて想像はできません。 だけど、私たちが悩んで葛藤しながら、人生の選択をするように、両親もそうやって選択をしていきている人なのです。 この経験からリズは、大切なことは自分が何を選ぶか?であることを見出していきます。 そして、デーヴィットにEメールを送るのです。関係を終わりするために。 まずは手放し空けることの大切さ デーヴィットからの返信をまつリズ、やはり期待してしまう「行くな!戻ってこい!ぼくは変わる!」という言葉。 そんな期待とは違い、デーヴィットからは理解と未来を祈る、美しい返信が届きます。 この選択をした自分自身についてリズはこのように書いています。 わたしは哀しみに暮れて、コンピューター画面を見つめつづけた。 こうするのが最善だったことは、よくわかっている。 わたしは苦しみを乗り越えた先にある幸福を選んだ。それもわかっている。 計り知れない未来に、まだ正体をあらわさないすてきな贈り物を受け入れる空きをつくったのだ。 わかっている。でもまだ・・・・・・・ デーヴィットを失った哀しみのほうが大きい。 引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」 読み進めていくとわかるのですが、この選択は本当に重要です。 わたしたちは傷つきたくないし、苦しみは避けていきたい。 こういった状況で、いい人が見つかったらこの関係を終わりにしよう。 と考えることは人間の本能としてはありうること。 でも、それでは本当に自分が求めるいい人。と出逢うことはないのです。 宇宙やこの世界の真理として、受け取るためにはスペースを空けることが、まずは必要だからです。 リズはそれをちゃんとしたのです。 リズは、この先の旅で手に入れるもののために、このイタリアで準備をしている。 喜びで満たしてこの先の旅の英気を養う。 抱えすぎている様々なことを手放し、受け取るスペースを空ける。 これがこの旅のもっとも重要な部分であると私は感じています。 食べるように話せの大切な意味 このメールを見た後、リズは英語を教える代わりにイタリア語を教えてもらっている、 ジョヴァンニとの約束があったことを彼からの電話で思い出します。 そしてジョヴァンニと会うのですが、そこで哀しみがあふれリズは号泣します。 状況が理解できないジョヴァンニではあるものの、何かを失ったことを感じとり、じっとリズとともにいてくれるのです。そして、説明する言葉を探すリズに、彼女のお気に入りの言葉を言います。 「パルラ・コメ・マンジ」 ― 「食べるように話せ」 相手に伝える言葉はローマの食事のようにシンプルであれ。たいそうなものを創り上げる必要はなく、ただシンプルにテーブルに並べればいい。 これはありのままに言葉を伝えればよい。という解釈もできると私は感じています。 自分が感じていること、考えていること。 人は伝えようとすると、ついかしこまったり飾りつけをしたくなるものです。 もちろん場によってはそれがピッタリなこともあります。 だけど、悲しみや苦しみ、喜びや嬉しさを伴った言葉を伝えるとき、それは本当にシンプルで良いのかもしれないなと感じます。 誰と比べるのでもなく、すべてを認めて自分を生きるということ イタリアでは、リズの姉も旅行にやってきます。 姉との時間を過ごしながら、リズは自分と姉の関係や比較して考えてきた時間を回想します。 この時点ではまだ、リズは姉のキャサリンの結婚や仕事、子育てや子どもとの関係と自分を比較して不安定な状態です。 そして、家族はこうであるべきと言う古い価値観や、しきたりについても言及し、それらにもとらわれている自分にも気づいています。 しかし、それをもうやめようとしていく姿が、このイタリアで見えてきます。 その方法はまだわからなくとも、そこから見切りをつけていく意思を固めていくのです。 ヴァージニア・ウルフは書いている ― ゛女の人生という広大な大地に、剣の影が落ちている “ 。その剣の片側は、しきたりと伝統と秩序が支配する゛ことごとく正しい ” 世界。しかし、常軌を逸した考えを起こして境界を越え、しきたりに縛られない人生を選ぶなら、剣の影のもう一方の側は゛すべてが渾沌としている。何事も当たり前には進まない…

映画だけではわからない『食べて、祈って、恋をして』

イタリアでリズが気づく、アメリカとイタリア、自分の喜びと罪悪感

ブリスベンのライフコーチ 河合ゆうきです^^ 私の人生のバイブルとなった1冊『食べて、祈って、恋をして』   この本は、著者であるエリザベス・ギルバート自身の経験をもとに書かれた本です。 この本の読書会と称して私が開催しているのは、 ひとりの人として、誰かの人生ではなく自分の人生を生きる その為に気づいて、手放し、乗り越えていく必要がある 古い価値観や、それらによって創り上げられた自分との向き合い方、 旅を通してそれを軽やかにしていく方法などを深める会です。   この本は入り口に過ぎません。 ただの女性の旅の記録ではなく、 資本主義社会の中を生きている女性に 共通する課題や心理、葛藤に対して、 それらにどう向き合い、 本来の自分を生きていくか?の答えが詰まっています。   この映画では語られていない、エリザベスの深い気づき、洞察を原作からお届けしていくシリーズ。 映画だけではわからない「食べて、祈って、恋をして」の世界 本日は第1回目のイタリア編前半です! 自分を喜ばせるためだけの選択、イタリア語を学ぶ 人生における様々な選択の中で、 私たちはその選択がどんなふうに実用的で、効率的か? 役に立つか、立たないか?という視点で選びがちです。   特に、キャリアを積むとき、 何か求められる期待に応えるとき、 社会にある様々な〇〇であるべき、 という価値観や観念の中で生きていると、 そういった思考は当たり前になっていきます。   この本の主人公であり、作者であるエリザベス・ギルバートも そうやって、一生懸命、真面目に生きてきた女性のひとりです。 30代になり、ライターとしてのキャリアもあり、 結婚して家も買って、客観的に見たら成功している女性のひとり。   だけど、彼女は気づいてしまうのです。   自分が積み上げてきたものが何か違うということに。 いつも満たされない何かを感じていることに。   そして、自分が自分の母親のように 子供を産み育てたいと思っていない事や、 結婚生活を辞めたいと思っていることに。   それはまるで、社会の中の逸脱者のような、 失敗というレッテルが貼られてしまうような気分でもある。 だけど、その違和感はもう抑えられず、リズは離婚を選択します。   と同時に、様々なストレスと孤独を感じ、 夫との別居後に出逢ったデーヴィットとの 恋愛関係も依存的で破壊的なものになっていきます。   もともと恋愛に関しては依存的だったことを 本の中に書いていますが、この時点でリズは、 本当の自分をまだ知らずにいるのです。   そんな人生のどん底にいる中、 離婚協議も長期化し、憔悴していくリズ。 そんな自分に 「この先、どうしたい?」という質問をしていると、 毎回決まって出てくるのが、「イタリア語会話を習いたい」というものでした。 そして、その理由は、 リズにとってイタリア語はバラよりも美しい言語であり、 それを自分も話せるようになりたい。というもの。 実用的かどうか?は一切関係なく、 あの美しい言葉を話せるようになりたい。 それが自分の喜びとなるもの。 ただ、それだけの理由だったのです。   リズは自分の旅の最初の目的地にイタリアを選びます。 イタリアはまさに、 そんなリズの選択を否定せずに歓迎し、 どうぞ楽しんで!と言ってくれる地だったのです。   イタリアの語学学校では、 みんな、なんだかイタリア語が好きだから、 この美しい言語を自分が話せたら嬉しいから。 と言った理由で集まっている人たち。 リズと同じ理由で集まる人々とイタリア語を学び、スウェーデン人のソフィーと親友になります。   ソフィーもまた、銀行勤めをしていながらも、 美しいイタリア語を話したいという理由で4ヶ月の休暇を取り、イタリアに来ていたのです。 自分の喜びのためにイタリアを選んだ人々と繋がり、リズはイタリアで心を通わせる出会いを紡いでいきます。 イタリアで向き合う孤独と憂うつ リズはニューヨークでの夫との離婚協議や デーヴィットとの関係などで、 約2年間、悲嘆と抑うつ、不安定さと闘ってきました。 そして、様々なセラピーなども試しながら、最終的に薬物治療を選択しています。 それは、命を絶つ危険があったから。 それがきっかけとなり、最後の選択としていた薬物治療を選択するのです。 最後までこの服薬を拒んでいた背景を語る一文があります。 この文章から、家族やその一族の中で、「自分がどうみられるか?」ということを気にして生きてきた様子がわかります。 しかし、わたしは心の中でつぶやいた。 あなたは、うちの家族のことをなにもわかっちゃいない。 ギルバート家の人間は、肝臓病の薬だって飲まないかもしれないわ。 病はすべて個人的な道徳と節制の欠如のあらわれと見なすのがうちの一族なのだから。 引用:「食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書」 その為、服薬でその効果を感じながらも、 薬を内服することへの葛藤が常に心にあり、 一刻も早く薬を辞めたいと感じていたと語っています。   そんなリズは、イタリアのローマにわたり、 自分の中に存在する「憂うつ」と「寂しさ」と向き合います。   この時リズは、不安のスパイラルが始まったら、 それに飲み込まれないようにする対処法として、 ノートを活用し自分に問いかけ、自分から答えをもらう自分との対話をしていきます。…