河合ゆうきのこと

河合ゆうきのこと

真面目と言われることが心底嫌だった私へ。

私はだいぶ早い段階から、 空気を読んで、人に迷惑をかけず、 人道に反することなく生きてきました。   妹が入院した時、たぶん4~5歳くらいの時点で決めた事だった。   自分で決めたことだったわけですが、 それでもいつからか苦しく感じていたんですよね。   「本当はそうじゃない。」   そんな想いがいつも心の内側で小さな反発を起こしていました。 だけど、それをどうしたらいいかわからないまま時が過ぎていく。   「本当はそうじゃない。」   それは、「真面目だよね」って言われるときに一番反発力が強い。 でも、真面目以外の道がよくわからない。(笑)   真面目って何?っていつも思っていた。 何にイライラするんだろうって思ってた。 面白くて自由で天真爛漫な友人がうらやましかった。   そうやって20代になり、 そういった違和感、生きづらさに向き合いだした私。   紆余曲折しながらも、 本来の自分をどんどん知っていくプロセスを経てきました。   で、今あらためて思うんです。 「わたし、真面目だな~」って。 反発したい気持ちは一切なく、笑いながら言える。   結局「真面目」なのかい!って感じですけど、本当にそう思うんです。 むしろ、「真面目で良かったわ」とも思う。   子どもの時、私が抱えていた 「真面目」とは、 自分の本音を抑えて何かに合わせ、空気をめちゃ読みながら、色んなことが滞りなく進むように動く、生きること。 その真面目はいつも私の等身大よりも若干大きな枠として存在し、いつも頑張ってそれに合わせていた感じだった。 だから、続けていると疲れ切ってしまう時が人生のいたるところにあったのです。   で、今の私の「真面目」とは 自分の本音に従い、自分が信じたやり方(本質的で地味)をブレずにコツコツ取り組み、信じている人たち(そんなに多くなくていい)と何かを育んだり生み出したりして生きること。 チャラチャラできない、リア充とかできない。(笑) とっても地味です。 でも、それが心地よいことに気づいて、認めて、そうやって生きている仲間と繋がり、今すっごく自分が大好きです。無理がなくなって、疲れ切っちゃうことも無くなりました。   だから、真面目ですよね~って笑いながら、人生を楽しんで生きられるようになりました。   あんなに「真面目」って言われることが嫌だったのに。 今は自ら「真面目ですから~」って笑って言える。   真面目ってね、本質からずれない生き方しているってことで、信じたことに疑いがないってことで、ブレないってこと。 そして、誠実で、裏切らない。 私の周りはそういう人ばかりです。   本来の自分を知って、自分の心地よさに気づいて、自分の喜びや幸せを生きると、過去に否定したり反発していた自分が、実はあながちずれてなかったって気づきます。   ちょっと方向線が間違ってたね。ってくらいで。     だから、あの頃の私に伝えてあげよう。 「真面目」の真の意味、価値に気づいたとき、 自分が「真面目」で良かった~って感じるよ。って。   気づくためには、自分の内側にあるその違和感、生きづらさを無視せず、時が来たら向き合えばいいよって。   今あなたがこなしている日々は、のちにものすごい重要な経験となるからって。 毎日、マルチタスクを子供ながらにこなし、効率を考えて生きていたあなたのそのスキルは、めっちゃ役立つから!って。   全ては必要だから、やってきている。 自分の中にある違和感、本音に正直に進み始めたら、人生はどんどん一つになっていく。   ちりばめられたあらゆる経験、想い、感情、すべてが「じぶん」として唯一無二の価値として輝きだすのだと感じています。   だから、あなたの内側にある、違和感や本音、幸せに生きられていない何かに目を向けて、一歩踏み出す勇気を持ってくださいね。   大丈夫です。そうやって自分に正直に生きていくと、必ず今の自分に感謝の気持ちが湧く瞬間がやってきます。  

ワーホリ

海外で看護師でもネイティブでもない自分との直面。看護師の私という価値を手放す恐怖と勇気。

ブリスベンのライフコーチ 河合ゆうきです。   私の本音を聴くことを始めた26歳。 「本当はどうしたい?」 「それは本当に私の本心?」 という問いを常に自分にかけるなかで、 私は15歳くらいからずっと持っていた想いに気づきました。   それが、 「海外で生活してみたい」 「英語をもっと話せるようになりたい」   中学生の時、友人たちが夏休みのホームステイに行くのを見て、内心羨ましさを感じていました。 私の母親も、私が子供の時から英会話スクールに通っていたこともあって「行ってみたら?」と声をかけてくれていました。 しかし当時の私は「両親に迷惑をかけないように。楽器を買ってもらったのだからこれ以上お金をかけさせては良くない。」という想いがあり、行かなかったのです。 プラス、大好きな吹奏楽部にとって、夏のコンクール時期は重要だと感じていたので、ホームステイに行かなかったんですよね。 その後、高校でも大学でも海外留学のチャンスがありましたが、毎回経済的な理由でいくことはありませんでした。   だから、自分で自活してお金を稼げるようになったら、海外旅行に行こうと決めていました。   そんな私でしたが、社会人になってからも、妹の大学費用や一人暮らしのサポートをしていたこともあり、どうしても経済的な不安が常にあったため、妹二人が自活するまで海外旅行に行くことができませんでした。   経済的な不安とは言い訳のような表層上の理由であって、実際は行こうと思えば行けたはず。 それなのに、行かなかった私の心の背景には、 自分だけ自由にしてはいけない。 みんな大変な中頑張っているのだから。 という家族に対する遠慮や罪悪感があったからでした。   それに気づいたのも、26歳以降の自分に向き合い始めてからでした。   そして、2010年に初めてパスポートをつくり、友人と計画していたのはエジプト旅行。しかし、情勢が変わり青年海外協力隊として現地にいた友人も強制帰国となったため、初海外の行き先はインドになりました。(笑)   初めての海外にインドって!?と多くの人に突っ込まれましたが、私は古い遺跡や古代の人々の叡智に興味があったので、インドもまさにディープな世界! とにかく、初めての海外旅行は刺激的で、衝撃的で、色鮮やかで・・・言葉には言い尽くせない経験でした。   一方で、楽しかったけれど、そこで気づくのです。 旅行の物足りなさ。と英語を使いこなせない自分のもどかしさ。 日本に戻ってから、それがずっと心にありました。 その後も海外旅行をするたびに、その想いは強くなっていたのです。でも、見ないように、日常生活の忙しさにごまかしていた私でした。 そんな私に気づいた27歳。 そこからの私はものすごいスピードで自分の望みを叶える決断をしていきました。 ワーキングホリデー制度で海外に行こう。 ワーホリのことなんて、居酒屋のトイレでみるポスター程度にしか知識はなく、他人ごとだった私。 決めたら即、ワーホリ協会での情報収集と経験者の友人の話を聴いて、半年で準備をして旅立ちました。 決めたら諸突猛進な私らしいエピソードだなと今では思います。   初めての一人海外でしたが、あれが私の人生のターニングポイント。 海外で初めて私は、本来の私で生きることをスタートできたのです。 それは、 ただのわたし。   空気が読める面倒見の良い長女でもなく、 看護師の私でもなく、 だいたいのことは自分で何とか出来ちゃう私でもなく・・・ 28年の間、日本で勝手に創り上げてしまった「わたし」は一切必要のない世界でした。   長年の癖で、そのように振る舞ってしまう自分に気づくたびに、それを辞める。   そんな風にして、私は本来の私を取り戻す時間を過ごしていました。   そして、現在のパートナーに出逢い、オーストラリアで暮らすことを考え始めた時、私はある不安と恐怖に直面しました。   ただの私 その価値がわからなくなってしまったのです。   日本だったら看護師として働き、知識があり、キャリアがある。 政治的な事、行政的なことも日本語だから、調べればわかるし、困ることはそんなになかった私。   それが、この地でこれから暮らしていくと考えた瞬間、一気に冷静な思考で長年の生き方スタイルが通用しないことに気づいたのです。   私は看護師でもなければ、ネイティブスピーカーでもない。 彼や彼の家族、友人の助けがなければ、私はこの地で暮らすことは困難。 自立していられない・・・   そこで私は初めて、「わたしの価値」に向き合ったのでした。   自己肯定感も、自己効力感もどんどん下がって、気づけばマイナスレベル。   私にとって自立や自活していること、 この社会で一人でも暮らしていけることに価値を感じていたのだろうか? 看護師というのは私のアイデンティティなのだろうか? 私とはいったい何者なのだろうか? どんな風に生きていくことが幸せなのだろうか?   そんな疑問ばかりが浮かび、その答えは見つからず、 気づけば私は真っ白で空っぽのような存在になってしまいました。   だから、私はまずオーストラリアでも看護師資格を取得しようと考えだしました。 勉強を始めるけれど、ワーホリでは話せるコミュニケーション重視でしか勉強してこなかったので、医療英語のレベルにひるむ。 伝わりあえるコミュニケーションが大切と思いながらも、 医療英語を話せ、看護師資格を取得する事で私は自分の価値やキャリアを回復できると思っていたのです。 その一方で、私は本当にまた看護師として働きたいのか? 波動医学やバイオレゾナンスに出逢い、自然療法を学びたいと思っていたのはどこに行ったのか? うろちょろしだした私は、20代の頃のように、あれこれまた色々としだしました。 大切なことは外側じゃなくて、内側のエネルギーだと感じた経験よりも、目先にある不安や恐怖から、じっとしていることが出来なかったのです。 コロコロ思考がさまよう自分にも、一貫性がないと自己嫌悪・・・   そんな日々を過ごしていました。   だけど、そこからが、私の人生において本当に重要プロセスだったのです。   本当に深く、深く自分と向き合うプロセス。   私が何者であり、どんな才能や価値を持ち、どんな世界を望み生きているのか?   それは生まれてから外付で身に着けてきた資格で表されるものではなく、肩書でもない。   何をしてきたか?と言うよりも、どんな想いでどんなふうにやってきたのか?の部分。  …

あなたへのメッセージ

無謀にも思える課題を解決していく第一歩。

ブリスベンの ライフコーチ河合ゆうきです!   2019年、私がこのBeMyLifeを通して目指していく世界、 私がこの人生を通して取り組む使命がわかり、 はっきりとコミットできるようになりました。   それは、   ひとりひとり、あらゆる個人が その個性を活かしながら人生を喜び楽しむことで、 森羅万象の全ての命にとっての真の調和がある世界   です。   森羅万象って大きなことを! と自分でもビックリしたこともありますが、 だけどこの言葉によって、私が長年感じていた葛藤や想いが言語化されました。 例えば、 さかのぼれば保育園時代。 私が通っていた保育園のお隣には、希望の家という福祉施設がありました。   そこには、ダウン症や発達障がいとともに社会で生きる人たちがいました。 そして、私自身も保育園から中学校まで、知的障がいとともに生きる友人と一緒にクラスに通う日々を過ごしました。 その中で、彼らの純粋な優しさ、感情に触れながら育ち、私はその個性を知りました。   だけど、10代になってくると、社会の彼らに対する差別の目や、特別という表現をしているけれど、虐げるような雰囲気を感じ取っていました。   それは本当に悲しくて、どうしたら誰もが生きやすい社会になるのか? 子供ながらに考えていました。   高校時代には、身近に適応障がいやうつを抱える友人との関わりがありました。 大好きな音楽を続けたいのに、両親との関係などに葛藤し、学校にこれなくなる中、唯一連絡が取れる存在として、私は関わることも多くありました。   16歳そこそこの私は、メンタルダウンしてしまった状態の人と関わる。 という中で、図書館で様々な本を借りて勉強し、 どうしたら彼らが生きやすく、自分自身を肯定していくことができるのか? を模索していました。   当時、私の母も協力的に様々な助言をくれて、私にできる限りのことはしようと心に決めて関わりました。   だけど、その時に感じた、 親の価値観と子供の価値観の葛藤、受け入れることができない互いの立場などは、色濃く受け継がれる家族連鎖に気づくきっかけとなり、私自身の生きづらさを浮きぼる経験となりました。   そして大学では、進行性難病の団体のボランティアをしていました。 そこでは、進行する障がいとともに生きながらも、社会の中で自立していくための活動を身近で目の当たりにしました。 私にとって彼らとの時間は、「生きること」について、とても肯定的でポジティブな考え方をするきっかけとなりました。 私が肩ひじ張って考えていた「生きること」に対し、彼らは力を抜いて楽しむことを教えてくれた大切な存在です。 そんな活動の中でも、彼らの本質やそういった見えない部分は伝わらない、社会の中での不平等さを感じることがたくさんありました。   一生懸命声を上げる側と、受け入れる側。 その構図に疑問も持ちながら、私は看護師になりました。   大人と呼ばれる年齢になってからも、 私は日本の中での自殺率や、ホームレスの状況や、 さらには世界の発展途上国の人々の暮らし、 人だけでなく野生動物や環境汚染、自然破壊など 様々なところで、どうしたらこういった課題は解決されるのか? というひとりで考えても答えが見つからないことを考えることがよくありました。   こういった想いや葛藤、 それは私が求めている世界が 全ての生きとし生けるものが 真に調和した世界だったからだとわかったのです。   そして、その解決にむけて 私ができることが、 まずは ひとりひとり、あらゆる個人が その個性を活かしながら人生を喜び楽しむ ことができるような状態にガイドすることだと 今、感じています。 なぜなら、 人は本来の自分の喜びや幸せが満たされてこそ、 初めて人や環境といった周囲へ 心からの意識を向けることができるのだと 私は感じているからです。   本当に心から人や、動物や、環境を想い、 継続的なアクションができる人は、 まず自分のことがよくわかっている。   足るを知っている。ということでもある。   自分の喜びや幸せの実現に、 そういった部分が関わり、 影響しあっていることに気づいている。   私はそう感じています。   そんなことに気づいたきっかけは、 私自身が体調を崩して、 波動医学のバイオレゾナンスによって改善した経験にあります。   西洋医学でなく、東洋医学でもない。 一見すると怪しく見える波動医療。 だけど、それを私は選択し、信じて取り組み 改善した時、世界の見え方が変わったのです。   民間療法と呼ばれる医療や、 自然療法などの情報に 触れることが簡単になっている現代。   それを選択して取り組む時、 その結果を大きく左右するのは、 「自分で決めて、自分で責任をもって、信じて」 取り組んでいるか? 信じる力の部分がとても強く影響していることを知ったからです。   他力本願ではない、自分で決めて、心から信じて取り組むという姿勢。…

人生を変えるきっかけ

心から自分を喜ばそうとした28歳のワーキングホリデー。

ブリスベンの河合ゆうきです^^ 私がワーホリにやってきたのは、アラサーもアラサーの28歳でした。 あの当時、26歳くらいから 「自分が本当は何がしたいのか?」 「私が心から幸せと感じる人生、生き方とは?」 という疑問を感じていました。 看護師としての5年目以降のキャリアを考えてもパッとせず、一生懸命これからの未来、30代に向かう自分を想像してみるものの、キラキラ楽しいイメージが持てずにいました。 「この程度の幸せなのだろうか?」 「満たされないこの何とも言えない感覚は何なのか?」 そんな風に感じながら、その答えを探していました。 看護師として関わる多くの患者さんたち、生きることと死ぬことを目の当たりにしながら、 彼らが伝えてくれた「後悔しない人生を生きてね。」という言葉が心にありました。 その当時の私は、 ・結婚したら自由に好きな事はできなくなる ・結婚前にもっといろいろしておかないと ・海外生活をしてみたい、旅行ももっと行きたい そんな風に感じていて、今やりたいことをやらなかったら、この先後悔するだろうなと思ったのです。 だから、まずは看護師のキャリアはいったん脇に置いて、やってみたいとずっと心に持っていた「海外生活」をやってみることにしたのでした。 理由がないとやっちゃダメ?やってみたいだけでは不十分だと思った ワーホリに行こうと決めた時、それは純粋にワクワクするし、やってみたいと感じていたから。 だけど、周囲にワーホリに行くことを告げる時、それだけでは不十分だと感じていました。 今思えば、やってみたい!ワクワクするから!は十分なきっかけだとわかるのですが、当時の私はそう思えなかったのです。 特に、両親は良いとしても、祖父母をはじめた親族からどう見られるか? が気になっていました。 「30にもなるいい年をして、そんなこと」 と言われるような気がして、まっとうな理由や説明を添えることにしていました。 「看護師としてのキャリアアップのために自然療法を学んでみたい その為にまずは海外に行って、英語を勉強したりしたい。」 という理由、説明をちょこっと添えて、私はちゃんとしているよアピールをしていたのでした。 そうやって、出発の準備を整え、見た目を整え、私はワーホリを始めました。 正直に言えば、不安も心配もあったけれど、それ以上にワクワクしてどうなるんだろう?という期待と楽しみにあふれていました。 だって、この選択は、 「私が100%私のためにしたもので、このワーホリをきっかけに後悔しない人生を生きる」 と決めていたからです。 日本でごまかしてきた本音、本来の自分と向き合う時間と環境 ワーホリの期間中には、とにかく自分の気持ち、感情に素直に選択、行動することをしていきました。 日本だったらたぶんできない、やらないけど、でも本当はやってみたい、飛び込んでみたい。そんな選択や行動をしてきました。   「後悔しない人生を生きる」 それはつまり、「私は私の幸せ、喜びを生きる」という宣言だったと、今思います。 そうやって決めていたから、私はその為に必要な環境や出会いを引き寄せていたのです。   空気を読みすぎなくてよい文化、社会 自分の意見を伝えながらまとめる会話 「それで、ゆうきは幸せなの?」と何度も聴いてくれるマザー、親友 五感が刺激されるオーストラリアの大自然 ハグ、とにかく愛を注がれる経験 看護師、長女、しっかり者といった形容詞は一切ない環境 たっぷりと自分に向き合う時間 何もしなくてもよい自由 古い価値観、勝手に作っていた思い込みをぶち壊す出来事   あげたらいくらでもあげられる!くらい、 私は「本来の自分」を思い出すための、環境やきっかけをもらいました。 日本では、調和という言い分で本音を我慢して人に譲ったり、本音を伝えることさえしていなかった私。 怒りや、傷ついたり、悲しんだりすることが苦手で、そういった環境をなるべく避けるようにしていた私。 自分らしさと世間的な優等生のはざまで、選択や行動を調節してきたことによって、本音がどこにあるのかよくわからなくなった私。 そんな、28年間生きてきた私をいったん見直す。手放す。 そんな時間でした。 開放感、自由、人生へのワクワクと可能性。 それが28歳のワーホリで私が手に入れたものでした。 自分を喜ばす、本音で生きることで始まる本来の人生 あれから5年が経とうとしている今年、私は人生のステージが 確実に一つ上がったことを感じています。 らせん階段を一周して、より一段高いところから自分と人生を眺められているのです。   5年かけてしてきたことは、 本来の自分を思い出し、そして繋がること。 自分らしく生きる上で、足かせとなっている「思い込み」「抑圧した感情」を手放すこと。 本来の自分の喜び、使命に生きるステージに向けた学び、実践。 自分自身、人生の流れ、大いなる流れを信じられるようになる学びと積み重ね。 だったのだなぁと、感じています。 それに加え、私のキーワードでありテーマである「家族」と「私」のバランスを試行錯誤もしてきました。 「私」の幸せ、喜びを生きるという心からのコミットをして、そのうえで「家族」のことも幸せにしていく。 これは私にとって一つの課題なのだとわかりました。 私は、自分を犠牲にして誰かのこと、特に家族の世話を焼くことは、朝飯前レベルでできてしまいます。 だけど、それでは私自身が疲弊して続かないし、結局ハッピーにならない。 これで破綻してきたパターンを、20代から繰り返してきました。 このパターンに気づき、手放すことが、この2年のテーマでした。 そして、準備ができた。 私は自分の幸せも喜びにも深いコミットをし、それを優先させながらも大切な人たちを幸せにしていく。 それができるという確信が、今あるのです。 そしてそれは、広げようとして広げるのではなく、自分の内側に向き合い、自分のバランスを大切に丁寧に生きることで、自然と広がっていくのだと確信できるようになりました。   今、ここに立って私の人生を振り返ると、本当に面白い旅だなと感じます。 26歳でワーホリに行くぞと決意し、自分を喜ばせるためだけの選択をした自分。 あの時の私がいたからこそ、今の私がいる。 根拠のない確信、始まるという感覚はあの時もありました。 それは、今感じているものと近くて、この道、この流れに乗っていけば大丈夫という確信です。   あれは、「それなりに幸せ」と感じてはいる人生からの脱却の合図。 「心から満たされる幸せ」を生きる人生への旅の始まり。   人生はらせん階段のように上昇していくもの。 つまづいたり、立ち止まってもいい。 だけど、緩やかでも上昇していることに気づける自分になれば、同じように見える景色の中から、気づくことも見えることも変化していることに気づくでしょう。 そして、成長している、より幸せになっている自分に気づくことで、それが自信になり、もっと上昇していくことができるようになります。   さあ、新しい始まり、あなたはどんな合図を感じながら、旅を始めますか?  

学び

こんなにワクワクするビジョンメイクは初めてだった!ビジョンメイクWS2019

ブリスベンの河合ゆうきです^^ 18日の月曜日に、 ビジョンメイクWS2019〜起業家のための、叶うビジョンの描き方〜 というワークショップにオンラインで参加し、 そこから2日間かけて、これまでの人生で一番ワクワクしているビジョンを描いていました。 このワークショップは、 私が愛してやまないメンターである “愛”ある「事業構築」と “価値”ある「商品群開発」の専門家 【ダイヤモンドプロダクツ】開発コンサルタント おのともこさん と 自信を育む「セルフヒーリング」を伝える専門家 Aromaneverlad 築井朋美さん のコラボワークショップ。 東京ではリアルに人が集まっていて、そこにオンラインでも参加ができるもの。 屋久島、新潟、オーストラリアからオンライン参加があり、とっても充実の時間でした。   海外からもこうやってご縁がつながり、リアルと変わらない臨場感で参加できることは本当にありがたい! 今年に入って繋がるご縁がますます面白く、深まっている私にとって、これまたワクワクする時間でした。 今日はビジョンメイクからの学びと私のビジョンの宣言を残したいと思います。 ビジョンの4つのステージ 今回のWSで知った、ビジョンの4つのステージ。 与えられたビジョン エゴのビジョン 共創のビジョン 利他のビジョン 実現したいビジョンを描くとき、そこには4つのステージがあります。 ステージとはいうものの、ビジョンはこの4つが混ざっていてもOK。   自分が実現したいことは何か? という問いを持ち始めた時、私たちは初めてビジョンを描きます。 ビジョンを描き、実現していく中で、 「自分が本当に望んでいること」 「自分が本当に実現したいこと、世界」 「自分が本当に大切にしたい生き方」 がわかるようになっていくのだと感じています。   なぜなら、私自身がたどってきた道がそうだったからです。   初めて描いたビジョンが叶わなかった原因 私は3年前に初めてビジョンを描きました。 教えてもらった情報、本などから学んだ事から、とにかくやってみたのです。 そのビジョンで叶っているものもありますが、巷で言われるほどの即効性はなく、 ビジョンを描いたものの、ワクワク度はそこまで変わってなかった。 その結果、私の場合は1年内に叶わなかったことが多かったのです。   それはなぜか?   あの時初めて描いてたビジョンは、 与えられたビジョン エゴのビジョン がほとんどだったからだと思います。 加えて、見えるものばかりにフォーカスしていた。 ということも特徴だったと思います。   つまり、私が本当に望んでいることではなく、 周囲の世界に影響を受けながら、いいかもって感じることを描いていたんですよね。 そして、表面的で、外側ばっかり描いていた。   本来の私は 目に見えないことを大切にした生き方を望んでいて、 その中で目に見えるものが実現し、手に入っていく流れを知っていたということ。   私は、起業しよう!自由に豊かに生きよう! っていうことに意識が向いたら、私にとって大切なキーを置き去りにしていたんですね。   だけど、叶わないな~なんでかな?ってビジョンを振り返ったりする中で、 「本当に自分が実現したいこと」 「本当に自分が手にしたいこと」 がわかるようになっていきました。 3年目にして、深い部分でこのビジョンメイクの本質が理解できたと感じています。   そして、今回感じた、一人ではなくシェアする仲間がいることの効果! 自分だけでは気づけない自分の本音が引き出される。 言葉にできなかったことが言葉になったり、 実現したい世界をシェアすることで、刺激や応援しあえる温かな繋がりを得ることができました。 私の人生で実現したい世界が見えてきた 今年は目に見えない部分がわかってきたから、本当にワクワクドキドキするビジョンメイクになりました。 WSをきっかけに2日間かけて、じっくりビジョンを描きました。 「共創ステージ」 が描けるようになってきたことで、起業家としての準備ができたと感じています。 ライフワークとして実現したい世界と今年実現したい状態、内容を1枚目に。 2枚目は私が大切にしたい暮らし。 3枚目はリアルな手に入れたいエゴたっぷりのビジョン。 そんな風に作成しました。 作成している中でのインスピレーションが本当に多かったのも、今年初めての経験です。 その中の1つをシェアすると、今年は目に見えない世界を大切にするコミュニティからもたくさんのメッセージをもらっていて、そのメッセージがこのビジョンメイクに繋がりました。 「私はこの程度」 という自分が勝手に決めている制限を手放すこと。 もっと幸せで、もっと楽しくて、もっと豊かでよい。 もっと愛されて、もっと愛して、もっと満たされてよい。 ここが欠けた状態では、真の利他のステージは描けないということ。 だから、エゴステージがあっていい。 だけど、そのエゴステージの実現によって、どんな感情が湧き、それがどんなふうに人生のビジョンに相乗効果を与えるか?がポイントなのだと感じています。 こんなに作成にワクワクしてドキドキして、 出来上がったビジョンを眺めるとさらに何度でもワクワクドキドキするビジョンメイクは初めてです! HARMONY、LIBERATION、RETREAT、COLOUR、LOVE、MYSELF をキーワードに、ライフワークと目指す世界に向かって進んでいきますよ!

学び

イライラの根底にあった「被害者意識」が人生に与えていた影響。気づいて、味わい、意図を知る。

ライフコーチの河合ゆうきです^^ 11月23日双子座満月に久々のブログを更新しています。 私が最近学んで手放し、成長したことをやっと言語化しています。 私、20代からこれまで、 ずっと家族に対して「被害者意識」を持っていました。 「どうして私だけそうなの?」 「どうして私が何とかしないといけないの?」 「どうしてこうなるの?」 「どうしてわかってもらえないの?」 この数年、こういった被害者意識が沸き上がり、浄化や癒しの時を迎えていました。 始まりは自分で決めて背負ったはずだったのに・・・ 長女や長男なら共感できる部分があるかもしれませんが、ついつい長子は空気を読むのが得意です。 両親に迷惑をかけないように。 というところから始まり、 妹や弟の面倒を見たり、 しっかりしようと思うのはよくあることだと思います。 入院がちな妹と、共働きの両親だった私は、かなり早い段階で 「私がしっかりして家族を助けなくちゃ!」 と思うようになりました。 だから、世間でいういい子で育ち、怒られるようなことは一切せず、自分の気持ちよりも家族のことを優先することも多くありました。 当時、それは仕方のないことだと思ってい私。 だから、早く家を出たいという気持ちは強くあったんですよね。 大学進学とともに上京し、一人暮らしを始めた時は解放感や自由を感じました。 バイトで月々15万円くらいは稼げるようにもなって、自分でやっていく事の自信にもなりました。 看護師になって社会人になった私。 当時、妹二人の大学と専門学校が重なり、 両親の経済状況は厳しい状況でした。 すると、今度は経済的な部分でも 「家族のために私がしっかりしなくちゃ!」 と思うようになりました。 だから、妹の学費や生活費の援助をしました。 妹が卒業して自活するまでだから。って思いながら。 そして、妹が卒業し、これでお役御免!と思ったら、次は父の自営の状況が芳しくない。 人に頼まれてお金を借りることって世の中にはあるわけで、 親に頼まれたら当時の私は断る選択肢がありませんでした。 私の名義で、返済は親がするからという話だったのですが、 親が返済できなければ、私が返さなければならないのですよね。 結局、そういった状況になり、 私はせっせと返済をすることになりました。 「妹が自活したら自由なはずが、どうして今こうなっているのだろう?」 「誰か代わってくれないのかな?」 本来なら親にぶつけるべき想いだったはずですが、私はそれができなくて、心に溜め込んでいたんですよね。 言葉にできない怒りや悲しみは被害者意識だった 私にとって家族は大切な存在です。 それはずっと変わらない本質なんですが、 大切にする という方法、あり方が20代の時とは変わりました。 これまでの私にとっては、 どこか自己犠牲ありきの大切にするでした。 だから、 家族のことでごたごたすると、 なんかイライラするのですよね。 あ、また私が何とかしないといけないんじゃない?って。 そしてそれは、 自分のパートナーシップにも波及するという。 これは、癒すことが必要なんだ とわかっていても、 イライラの根底の怒りや悲しみを うまく表す言葉が見つからなかったんです。 そんな中、癒しや浄化を続けていました。 (セルフケアできるんです、癒しや浄化って) そんなある日、 ついに根底、 心根にある私の感情にピッタリの言葉が。 「被害者意識」 この言葉でした。 これだ!と。 「なんで私はいつもこうなの?」 「どうして私ばっかり」 という感情って、 「被害者意識」なんですよね。 悲劇のヒロインに自分を仕立て上げている感じ。 そして、この被害者意識って、助けてくれるのを待っている受け身状態でもあります。 だから、この被害者意識があると、物事はうまくいかない。 私の場合、この被害者意識が、 過去の経験からわかるように 「家族」と「お金」の領域にすごーく深くかかわっていて、 「稼ぐ」ことや、 パートナーシップに影響を及ぼしまくってました。 この感情や言葉を特定できたから、 ここから私は、その感情を とにかく味わいきるプロセスに入りました。 その出来事は、あなたを成長させるために起きている その当時、抑えてきた感情、 想いや言葉をとにかく吐き出したり、 くみ上げて感じてあげる。 多くの場合、表現できる言葉が見つかると、 より味わうことができるようになります。 そうすると、その出来事や経験が 「どうして自分の人生に起こったのか?」 が理解できる出来事が起こります。 私にとって「お金」と「家族」の関係。 それは、私の器を大きくするために起きていた。 断ることができない家族だからこそ、 私の人生にこういったことが起きた理由は、 私のお金の器や、 無条件の愛という器を 広げるために起きていた。 ということでした。 私が成長するための課題だったんです。 メッセージを見た瞬間、 「なんだ・・・そういうことだったのか」 って、あっけらかんと受け入れる自分がいました。 癒しや浄化が進んでいない場合、この言葉をすんなり受け入れることはできません。 でも、だって。と言い訳する。 逃げようとします。 まだ、受け入れ認めていない場合は、その先へ進むことができないのです。 だけど、私はどうやら十分に味わっていたようで、 このメッセージをもらったとき、 「私の器を成長させていたのか~。…