私の考え・気づき

河合ゆうきのこと

妊娠が分かった時の戸惑いと手放し。

オーストラリア ブリスベンから ライフコーチの河合ゆうきです! 妊娠のご報告をさせていただき、たくさんの方からのコメントをいただき、新しい命を授かることで起こる幸せの連鎖を実感しています。 暖かく見守っていただいていることや、命の誕生とはそれだけで人々に喜びを与えることができるのだと、なんともいえない暖かさと新たなステージの学びを体験しています。   ↑現在の我が家のベビーは愛犬 私自身、看護師時代から向き合ってきたのは「人の死」。関わる人々の「死」から私は「生きる」ことを探求してきました。 後悔しない人生を生きるとは? 誰もが避けることのできない「死」というリミットから、私たちは何を学びどのように生きるのか?を真面目に考え、自らの人生で問い、実践してきた部分があるんですね。 紆余曲折もありながら、私は現在の私なりの答えを持ち、毎日を後悔しない日々として生きることができるようになってきました。   そのプロセスの中では、子供の時に本当は言いたかったのに言えなかった想いや感情、寂しさや孤独に気づき、解放していくステップがありました。 この子供の時の孤独、寂しさ、言えなかった想い。 それは、両親が悪いわけではなく、私が人一倍空気を読み、自分で勝手に決めたり思い込んだりしたことから起きた感情たちです。 ただ、それらの行き場がなく、ずっと心根に沈んでいた感情は、20代になった私に様々な不安として影響していました。   私は子供の時から、自分の感情を表現することが得意ではなかったと思います。嬉しいとか、楽しいと言うことは表現できても、嫌だとか、怒りとか、悲しみを表現することは苦手でした。 だから、我慢したりこらえて表現せずにいたことが多かった。 その結果、大人になってからもそれらの表現が苦手だったんですね。 両親もまた、感情を表現するコミュニケーションは得意ではなかったのだと感じています。日本の文化社会背景として、それはよくある光景でもあったのだと思います。 だから、子供の時に親友は感情表現が豊かで、そのお母さんもまた感情表現が豊かなことを知った時、戸惑ったくらいです。笑 また、20代でワーキングホリデーをするまで、私は本当に様々な「〜でなければならない」「〜であるべき」という固定観念や社会通念の影響を受けていました。 本当はもっと自由に気楽に生きたいと心では願いながらも、それを自分にOKできないまま、必死に生きていた感じでした。 肩の力を抜いていきること。「別に絶対〜であるべき。」と言うことはないのだと言うことをアラサーにして学び、着込んでいた固定観念の鎧を脱ぎ出したのは28歳からです。   そんな背景があって、私は自分が母になることがちょっと怖かった。 自分の子供が自由にその子らしく生きることを見守れる親になれる自信がなかったのです。 だから、幼児教育や様々な教育についても自分なりに本を読んだりしていた時期もあるくらい。 一方で知識だけ知っていても、自分がそれを実践することができなければ意味がないこともわかっていたから、色々ともがいていた20代でした。   そんな20代を過ごし、30代になってやっと子供を持ってもいいかなと思えるようになりました。 様々な解放や癒しが進み、学びが統合されていく中で、私はまず私を生きていると言う実感がえられるようになったこと。 一人で頑張ることを手放し、人に頼ったり、助け合いながら生きることの心地よさや素晴らしさを体験してきたこと。 そして、子育てとは学びなのだと理解し出したことで、それまでの自分がしっかりしていなければならないと言う鎧も脱ぐことができたのです。 とは言え、ライフコーチの仕事や、チームの仕事、見えてしまったビジョンの大きさから、今は仕事を!と思っていたのも事実。 35歳でまずはひとりは産めるようにと、体と心のケアはしておこうと思ってはいたものの、妊活と呼ばれるようなことはまだ何もしていませんでした。 なので、今回の妊娠は本当にびっくり。 ただ、不思議と義理の父の計らいが絶対にあることを感じた私は、この命は大切に育まなくてはならないと思いました。 と同時に、20代の時から向き合ってきた葛藤や不安の最終章のような感じが全身に広がっていました。   私が歩んできた20代後半から現在までの日々。 その中で、私が不安に思っていたことはひとつひとつ解消されてきました。 感情を表現できるようになった私。 様々な固定観念に気づき手放してきた私。 今もなおそうやって変化、成長し続けている私。   親子のコミュニケーションについても、どうしたら良いのか?をイメージできるようになったのは、オーストラリアで出会った人々、ご縁のおかげでもあります。 愛を素直に表現すること、大切なものを大切にする生き方を実践している人々、子供をそのままに見守り育んていく子育てをしている先輩ママたちとの出会い。 とにかく、出会ってきたご縁が全て、たくさんのことを教えてくれ、気づかせてくれ、大丈夫だという安心を与えてくれました。 そして、パートナーと向き合ってきた日々、妊娠が分かってからの彼の劇的な変化や本来の本質がより発揮されてきた姿を見ると、「今が最善なのだ」という感覚が広がっていくのでした。   そんな気持ちの変化の中で、私が最後まで握りしめていたものがあります。 それは、自分の家督について。 事実婚をこれまで貫いてきたのは、それが私にできる家督についての一つの選択だと思っていたからです。 でも、私は名前が変わったとしても、実家や先祖代々をないがしろにするつもりは一切ないし、お墓まいりや家のことも私なりのベストで取り組むことを決めています。これまでもそうやって関わってきた。 社会が様々に変化していく中、大切に引き継がれたり、受け継がれるものとは、目に見えるものだけではないことを実感しています。 形が残されても、気持ちやスピリットが全くこもっていなかったら、そちらの方が意味がないと私は感じる。 だから、私はどうしたいのだろうか?と問いた時、事実婚ではなく籍を入れて私の家族を育みたい。という気持ちがありました。 だから、それを選ぼうと今は思っています。   私にとって、これは比較的大きな手放しの感覚があります。そして、これまでずっと抱えてきた錘がひとつ外れていく感覚。   新しい命が育まれるという奇跡によって、私は改めて自分のこれまでの人生とこれからの人生を結ぶきっかけをもらいました。   「生まれる」という誕生の力のパワフルさを感じ、生命力によって与えられる様々な気づきを受け取りながら、私はより私らしく生きようと思っています。          

私の考え・気づき

自分に気づいていくプロセスは誰かと一緒ならば軽やかな旅になる。

オーストラリアブリスベンから ライフコーチの河合ゆうきです。   COVID−19による自粛や自宅待機期間が世界各地で開け、社会の動きが少しずつではありますが出てきました。   これまでにないことが次々と起きてくる世界の中で、私たちは既に持っているものを確認し、大切なことのバランスを見出しながら、新たな生き方のスタイルを見出していく。 そんな風に社会を眺めていました。 私といえば、2020年の頭から、とにかく人生のテーマの再確認と、次のステージのための準備が次々と進んでいて、側から見るとゆっくり流れている世界の中で、かなり激流のごとく色々な変容が起きています。   大きなテーマとしては、深い深いインナーチャイルドの傷をとことん浄化している感じでしょうか。 私にとって、家族、生と死は人生の大きなテーマでもあるのですが、家族という単位が、家系という大きなレベルでテーマを掲げてきているような感じがしています。   このテーマと今回の関わり方は、2年前の私ではまだ動揺したり、決断できずに過去のパターンを繰り返していたかもしれません。 でも、今回は確実にそれまでとは違った視点で捉え、自分の軸にしっかりと根ざして俯瞰している私がいます。 そして、「どうすべき」ではなく、「どうしたいか?」が自然とわかる。   人生にはこうやって成長したごとにそのステージで、課題やテーマがなんどもやってくる。 でも、成長している自分だからこそ超えていくことができ、その一つ一つを新たな成長のタネへと変えていけるのだと感じています。   この大きなストーリーはもう少し消化に時間がかかりそうで、言葉にできるタイミングで表現していきたいなと思っています。   自分に気づいていくプロセス 今、朝活として開催しているカラーレゾナンス。 集まったメンバーが思っていること、感じていることをありのままにシェアすることができる、安心安全な場です。 毎回最後には、それぞれがピンとくる色からのメッセージをお伝えし、本来の自分を生きるプロセスをガイドしています。 繰り返し参加してくれている方も、どんどん自分のプロセスを進んでいくのがわかるし、集まったメンバーが持ち寄る話題やテーマが、他の参加者に必要な気づきを生み出していくのがとても心地よい場です。 毎回、参加する中でのテーマや話から、それぞれが自分を確認する場所のような時間になっています。   私自身、自分に気づくプロセスは、割と一人で取り組んできた時間が長くありました。 もともと内省が得意なことや、ノートを使って自分で書き出すことに抵抗がないこと、ワークが比較的好きなこともあり、そういった時間は面白かったのを覚えています。 ただ、その時間では気づくことができなかった「わたしらしさ」「わたし」に気づけるようになったのは、ひとりではなく、グループや人の力を借りての時間でした。   目から鱗のように、なぜ気づかなかったのだろう?と思うこともあるし、自分のこととして受け取ることができるまでに、出会うご縁が必要だったのだなと感じることもあります。   確実に言えるのは、一人でひたすら自分に向き合っているだけは、気づかなかったこと、気づくことができなかったことがたくさんあるということ。   だから私は、セミナーやワークショップでのグループや集まるご縁を大切にし、そこで生まれる気づきが大好きなのです。   一人では気づけないこと、一緒に語ったり、向き合ったり、声を掛け合うからわかること。   これからの時代は、そんなふうに、自分という存在を理解し、どんどん軽やかに自分らしく生きていくことができる時代なのだと感じています。 実際に、インターネットとオンラインのおかげで、世界中から繋がることができるのですから、飛行機で会いにいくより早くて軽やか!   COVID-19による緊急事態宣言は解除されてはいますが、カラーレゾナンスオンラインは、今後も定期的に続けていく予定です。   安心して話ができる、自分を生きる、自分を知るためのプロセスが自然とわかる。そんな時間です。

私の考え・気づき

海外で戦争について気づく、みんな同じという感覚と、そこからどうするか?という視点。

オーストラリアから ライフコーチの河合ゆうきです! 4月25日、オーストラリアはANZAC Dayでした。 アンザックデーとは、第一次世界大戦のガリポリの戦いを戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍団の追悼の人して始まった祝日です。 今では、全ての戦争や国防に関わる人々に対する感謝と敬意を表現する人なっています。   ワーキングホリデーでオーストラリア生活を始めた時、語学学校でたくさんのオーストラリアの文化を学びました。アクティビティの中で、なるほどと思いながら感じたことがたくさんありました。   アンザックデーでは毎年、国防に貢献した人々、戦争で実際に戦いを経験している人々がマーチをし、そのパレードに人々が集まります。 パブでは毎年集まったメンバーがそれぞれの近況を語り合ったり、戦争の記憶をシェアしてくれる場面もあります。 私のパートナーもアーミー(陸軍)に所属していたので、様々な経験と知識をシェアしてくれることもあり、私は日本にいた頃には全く知らなかった世界、気づかなかったことに気づく時間を過ごしてきました。   今年のアンザックデーは、コロナウィルスの影響もありこれまで毎年過ごしてきたアンザックデーとは違い、ロックダウンの中それぞれができる範囲でその敬意、感謝を表現する日となりました。   毎年この時期になると、第一次世界大戦の時の話や、その後の様々な戦争のストーリーが新聞やニュースで取り上げられます。 それを読んだり聞いたりしている中で、私がこの数年で気づき変化したことがあります。     それは、みんなどの国も同じなんだということ。   それはどういうことかというと、日本にいて日本で戦争の話を聞く時、日本軍は味方であり、アメリカや他国は敵であったりします。 そして、原爆経験もある日本にとっては、私たちは被害者であるという感覚が少なからずある。私自身、これまで受けてきた教育の中では、俯瞰して大きく見る視点以上に、自国を中心とした世界の見方を育んできたのだと感じています。   そこから、オーストラリアで戦争の話を見聞きすると、日本軍が豪軍を攻撃し、多くの人が亡くなっている事実がある。こちらで聞けば、日本という私が生まれ育った国は敵になり、多くの人々の命を奪った存在であるのです。   最初の頃は、その事実を見聞きするたびに、心が痛む感覚、居場所がなくなるような感覚がありました。 自分の国を誇りに思いたい自分と、自分が生まれた国も実は世界の様々なところで命を奪ったり、捕虜に対してひどい拷問をしていたりする。 そういう事実があることを知るたびに、何とも言えない気持ちを感じていました。 でも、それが事実なのです。そして、それは日本だけではないのだということに気づき始めていきました。 より大きな視野が私の中に育まれ、様々な戦争の記録、映画を見るたびに、どの国も同じなのだと感じるようになっていきました。   これまでの歴史で見ても、領土を拡大していた時代は、そのために一般の全く普通に暮らしている人々が命を奪われたり、住む土地を奪われたりしている。でも、立ち位置かが変われば被害者にもなり、加害者にもなっているのだという事実がある。 結局、私たちは互いに同じようなことをし合っていた時代を生きていたのだということに気づかされたのでした。   だからこそ、誰が悪いとか正しいという二元性で議論していくことよりも、そういった事実がある上で、私たちは今とこれからをどう生きるのか? に人々が意識を向けていくことが大切なんだと、今年のアンザックデーでは感じていました。   海外で暮らすという経験が与えてくれるものを改めて実感しています。 日本にいただけでは気づかなかったことがたくさんある。 そして、現地で暮らし、現地の人々と交わっていくことで、そこにある様々な制限や偏りに気づき、それらを超えていくことができるのではないかと感じています。    

あなたらしく生きる

看護師、家族として、胃が痙攣するほどの怒りからの気づき。

ライフコーチ河合ゆうきです。   オーストラリアで、現在家族が在宅ターミナル期を過ごしています。 がんの終末期ということで、ブルーケアナースと呼ばれる訪問看護を利用して、痛みのコントロールをしながら自宅での生活をしています。 自宅らからこそ、好きな時間にシャワーを浴びたり、大きなテレビで音量を気にせずテレビを見たり、家族がやってきて会話しているのを眺めたり、ベッド、車椅子、ソファを自由に選択して、たくさんのクッションを使って体勢を整えられる。 口からの水分摂取も、栄養摂取もできなくなって1ヶ月が経ちますが、その生命力には驚かされるものがあります。   大好きなシャワーも、椅子に座りながら、酸素を使いながら1時間くらい浴びる。ちょっと疲れるけど、サムアップしながら笑って出てくる姿を見ると、私の中には喜びがあります。 そんな瞬間を私は支えられる存在でありたいのだと、看護師だった時も感じていたことを思い出しています。   大学病院でたくさんの患者さんと家族に関わり、最期の時に立ち会うこともたくさんありました。 病院を選択することの方が安心な人は、それでいいと思います。 でも、自宅で過ごしたいと願うなら、そのための調整をして、自宅で過ごすこともできます。 大切なことは、本人がどのように過ごしたいか? 私は大学病院での看護の中では、時間的、物理的、人員的な制約の中で、患者さんのニードに応え切れないもどかしさをたくさん感じました。 大学病院を退職後、訪問看護や訪問入浴をを始めた時、自宅で暮らしている人たちを支える看護に喜びを感じました。 病院とは違い、暮らしているその人と家族を中心に、様々な工夫を凝らしながら望む暮らしを整える。 その人らしく生きることを助ける看護がそこにはあり、そのための勉強や知識は看護の領域はもちろんですが、日常の様々なことが気づき、学びとなる日々でした。 それが私はとても楽しくて、嬉しくて、これが私が取り組みたい看護だと感じたのです。 ワーホリから戻ったら、地域看護を中心に私のキャリアを考えようと思っていたくらいでした。   と、そんな風に私はその人らしい生活、人生をサポートすることに喜びがあります。 家族の看護をするときも、その本人と家族の要望、気持ち、願いを叶えるためにできることをする。 そんな毎日です。   そんな中、先日ひさびさに、私は胃がキリキリと痙攣するほどの怒りを感じる出来事がありました。   それは、利用している訪問看護で、これまで我が家には訪問をしたことのない看護師がやってきた時の出来事。   簡単に書いてしまえば、その看護師は、療養している本人と家族がどんな思いで在宅療養を選択し、日々弱っていく中でも本人の希望を叶える生活をしているかを一切考慮していない言葉を発言し続けたのです・・・ これはその一部なのですが・・・   「その状態だったら、ベッドで横になっているべきです」 → やせ細り、骨ばっている状態では、20個の枕やクッションを使って体位を整えたとしても、ベッドだけではなく、ソファや車椅子で過ごす方が本人にとっては安楽であり快適なのです。家族と関わったり、テラスで過ごしたり、その瞬間を精一杯生きているのです。 「いずれ、病院に入院すべきです」 → 「病院で最期を迎えたくない。自宅で最期を迎えたい」という本人の希望を叶えたいと、家族は覚悟を決めて日々ケアしているし、私も元看護師としてできることや、最期が迫った時はできる限りサポートすることを決めています。   これを読んでどんなことを感じるでしょうか?   私は、ちょっとびっくりした後に、胃がブルブルするほどの怒りが込み上げ、その後は悲しくなったのでした。 ちなみに、ブルーケアナースの車に掲げられているビジョンは「 Live life your way」、それなのに、まったくその人の生き方をサポートする姿勢ではない・・・と思いました。 怒りがブルブルしていた時は、 オーストラリアの訪問看護のスタッフ教育はどうなっているのか? 患者の情報共有はどのようにされているのか? 訪問看護の基本は、家で暮らしたいという、その家族の希望を叶えることではないのか? 看護教育(大学、専門などの違い)や臨床での経験の差でこういうことが起きるのか? 人の違いか?  そもそも看護って全人的看護が基本ではないのか? など、思考でたくさんの声が渦巻いていました。   そして、家に帰ってから、相方にそのことを話していると、悲しくなって涙が溢れた私。 冷静になり、なぜこんなにも怒りと悲しみを感じたのか? 自分を見つめると、そこには私が人生の中で一番大切にしていることを改めて確認することになったのです。   私は目の前で見えるリアリティという現実だけではなく、それまでのストーリー、思い、意志や感情などといった、そのリアリティの背後にある目には見えない部分を含めて、目の前のこと、人に関わることを大切にしたい。   それは、全人的な関わりを大切にしたいと表現できます。   特に看護であれば、ただ医師や診療の介助ではなく、その人を看て本来のその人の治癒力を高める、その人らしく生きられる、人間の尊厳を尊重する関わりをすること。   大学で看護学を学んだ時、最初はよくわからなかった看護学も、実際の臨床で患者や家族と関わる中で、その意義、奥深さを実感し、看護学が示す全人的看護への探究をし続け、看護を誇りに思うようになりました。   実際、血圧や脈拍数などのバイタルサインのチェックや、薬の投与、清潔を保つケアなどは、その技術だけでよければ今後はAIで十分な仕事です。   それでも生身の人間、それぞれの人生を経験している人間が看護をすることが必要なのは、   人間は全人的な存在だからです。   身体的、精神的、社会的、霊性的 という側面をもち、それらが複雑に関連しあっている存在であり、今生きるリアリティを創り出しているからです。   身体的・・・身体、日常生活での動作におけるもの 精神的・・・心理的な側面、感情や感覚 社会的・・・経済、仕事、家庭、人間関係など 霊性的・・・人生を生きる意味、価値観、生死感など   たとえば、健康でありたい、幸せでありたいと人が表現する時、その人にとっての健康や幸せを定義し決定づけていく背景には、こういった側面があります。   どれか一つだけ良好であったとしても、それでは心から健康や幸せとは言えないはずです。   それぞれの人に、それぞれの最善のバランスがあり、それを全体として整えていくことが、本来のその人らしい生き方となり、その人に必要な癒しや成長が起きていくのです。   こういった部分をまったく前提にしていない関わりを受け、私は看護師としてのあり方に怒りを感じたのです。   そして、私はこれまでの人生でずっと、この全人的な関わりを大切にしてきたのだと確認したのでした。   だから、とても悲しくて、家族の痛みとともに傷ついたのでした。   今、このタイミングで胃が痙攣するほどの怒りを感じる出来事が起きる。   私が何を大切にこの人生を生きていくのか? 私はこれまで何を大切にいきているのか? 変容のための気づき、何を手放し、何をコアに生きるのか?   それに気づかせてくれる体験となりました。   実は、胃が痙攣するほどの怒りを感じた場面はここ数年本当にありませんでした。   で、振り返ってみると、 過去にこんなに煮え繰り返るほど怒った経験は   ・看護師新人時代の御局様の看護師としての態度と関わり ・高校時代の新顧問のワンマン運営   といったエピソード。  …

あなたらしく生きる

傷も痛みもリアルタイムで。

ライフコーチの河合ゆうきです! 雨模様の本日、雨の音を聞きながらこのブログを書いています。 2月は家族の中で様々な出来事があり、私の中でひとつひとつを確かめるような日々。そのため、リアルタイムでブログが書けずにいました。 今、家族と「死」をリアルに意識するからこその「生きる」に向き合っています。看護師ではなく、家族としてその時間を過ごすことは、私にとって本当に深く大きな学びと気づき、成長や変容の時だと感じています。 自分らしく生きること。 自分に正直に生きること。 言葉では言えたとしても、それをリアルに体現できること、表層的な見せ方のアクションではなく、深い内側から溢れるごとくそれを生きることは簡単ではないことを感じます。 人は生きている中で、傷ついたり痛みを経験する。 その傷、痛みをその時に表現できたらよかったものの、心の奥にグッと押しこめてしまった経験は、多くの人が持っています。 その結果、押さえ込んだ感情や本音、置いてけぼりにしてしまった小さな自分は、心の奥深くで気づいて欲しいとエネルギーをこんこんと送り続けてくる。   暗闇の奥にその存在を感じながら、多くの人はやっぱり怖いし、日々を生きていると忙しくてそこに目を向けるのは面倒だからと、先延ばしてしまう。 そうすると、個人が生きる現実の中で、直面せざるを得ないような出来事が起きてくる。 もちろん病気を引き起こす背景には、食生活、運動習慣、ワークスタイル、嗜好、環境など、様々な要素が絡み合っています。 その中の一つには、感情や思考のパターン、どのように生きているか?、態度も含まれるということは、私自身が看護師としても、個人としても20代の時に経験した様々な出来事からもわかり、現在では科学的にも証明されていることです。   本来、人は傷や痛みを癒す力がある。 それは物理的にも、精神的にも同様で、目に見える、見えないに関わらず自然治癒の力です。 フィジカルな面で想像してもらうとわかりやすいですが、何気ないかすり傷や、小さな傷であれば日々を過ごしながらも自然治癒力は発揮され、バランスを整えながら生きることができます。 一方で深い傷や、大きな傷、痛みの場合は、その分治癒のプロセスのエネルギーが必要になる。 それでも、私たちは治癒するのです。 だから、日常生活の度合いを緩めて、治癒のためにエネルギーを回すことが大切です。   これは、目に見えない部分も同様なのだと、これまでの様々な経験やプロセスで感じています。 特に、傷ついた時に対処できずに、傷を隠して奥にしまっている場合は、その傷に光を当てて、その後に重ねてきた傷や、時には化膿していたり、腫れていたりするその傷や痛みを癒すことが必要になる。 エネルギーが必要です。 日常生活の中の現実で直面を強制される前に、対処が早ければ早いほど必要なエネルギーは変わってきます。 私は人生の中で2度、大きな直面せよと突きつけられた現実によって、このプロセスを踏んでいますが、それは結構しんどいものだと感じています。 それでも回復するし、地道に癒しは進みます。でも、もう少し軽やかに取り組みたいと感じた時、一度徹底的に深いところまで向き合い、癒していくプロセスを踏みました。 そうすることで、その後の日々の中での気づき、取り組みによって、リアルタイムで対処できるようになりました。   「あなたの本来の感情に気づく3つのステップセミナー」でお話ししていますが、感情も想いも、その時、リアルタイムで表現したり、味わったり、循環させることが大切です。 傷ついたり、悲しいときは、それを表現していいし、それを無視せずそこにある感情として味わい、受け入れる。 その感情も想いも、自分から生まれた大切な自分の一部だからです。 それをしないまま心の奥に押し込めると、それは傷になり、表現するのも味わうのも、循環させるのもリアルタイムの時よりエネルギーが必要になるのです。   と、久々にリアルタイムに感じていることを綴ったブログを書いてみました。   そんな今の私の変容のプロセスをサポートしてくれているクリスタルブレスレット。 2020年はまずこれ!という直感でお願いしたブレスレット。 私のストーンはアパタイトでした。メッセンジャーとしての使命を生きる。 このクリスタルたちの波動のサポートを受けながら、私はこうしてメッセージを綴っていく。 そのメッセージで共鳴していくご縁と、その変容が私の喜び。 シドニー、ガイアハウスのマキさんからのメッセージに納得し、私が進む未来の光をいつも感じさせてくれるブレスレット。      

人生を変えるきっかけ

私は何を手放すのか?日常の中でのサイン、瞑想、オーラソーマによる気づきのプロセス。

ライフコーチの河合ゆうきです! 2020年から始めようとしている内容の準備に奔走中です。 20代の時から学んできたことを振り返り、当時受け取りきれていなかったことを拾い上げるようなプロセスは、大切な真理につながる喜び。 そして、私のメッセージ、伝えるべき内容を深めるために新たな学びもしています。 はたから見たら、いくつも手を出し広げているような人かもしれません。 でも、全ては共通の宇宙の真理に繋がり、回帰していく。 世界や人生の奥行きが広がり、密度も変化するような日々が楽しく、喜びです。   私は今、より私のテーマや喜び、この人生における使命を生きるプロセスを歩んでいます。 もう決めているから、そのために必要なことがとことん起きるのだなと感じる日々です。 これまでも、私らしく生きることに相反する様々な思い込み、私のものではないが採用していた価値観、固定観念、思考や行動パターン、傷、感情に気づき、光を当てて癒すプロセスを進んできました。 この道のりは、まるで何層にもなっているレイヤーを少しずつ剥がしてくように、なんども取り組み深く深く繋がっていくのだと感じています。   そして、今、私はこの人生の課題も超えて使命を生きることを願っているからこそ、ほんの小さなエネルギーであっても、その意図に反するものが私の内側に存在すると、現実に大きく影響しているのを感じています。   望む未来や夢、願いを確認した上で生きる日々では、その実現のために必要なメッセージが現実、リアリティから投げかけられています。 そこにある気づくべきテーマに気づき、取り組むことで、望んでいる方向への流れに乗っていくことができる。   私がそんなプロセスを生きるために日々活用しているもの。 朝晩の瞑想、オーラソーマのワーク、クリスタルや音、色の波動、宇宙の真理に繋がる知識の学びと実践です。 私が取り組む瞑想は、その時々の直感によって方法や取り組みを変えています。 クリスタルとのワーク、原初音瞑想、天外司朗氏の瞑想法、禅、など様々な種類の中から、その時の自分が取り組もうと感じたものをチョイス。 徹底的に取り組むときはハードに取り組んでいた20代の時期もありましたが、今は日々の中で少しの時間でも毎日取り組むことの方が優先度が高いです。 この後に紹介するプロセスの中では、毎日15分〜30分の瞑想タイムがとても大きな効果を発揮してくれていると感じています。 オーラソーマのワークは、昨年の12月から私の人生とご縁が繋がり、現在は3本目のボトル大天使サミエルとのワークをしています。 クリスタル、色、音の波動は、言葉の通りそれぞれのエネルギーを日常の中で取り入れ、空間の浄化や自分自身の浄化、プロセスを進むことをサポートしてくれるエネルギーを取り入れています。   宇宙の真理に繋がる知識の学びと実践とは、心理学、量子物理学、意識の成長と進化、占星術やタロット、数秘術など、共通真理につながっている学びを、日常の中で取り入れ、活かしていくこと。   もともと興味関心が多岐にわたり、一つを深め続けることが苦手な私と捉えていた時期がありましたが、今ではそれらが全て共通した部分に回帰していること、こういった知識こそ自分らしく生きる人生に生かされるものだという実感があり、私はこれでいいのだと心から感じられるようになりました。   と、こんな風に私は、日常の中で自分が意識の成長のプロセスを進んでいけることが喜びであり、さらにいうと、こういった外からは見えないけれど、取り組んでいることがあり、それらが人生や自分に生かされていることを感じているのが大好きです。 外で華々しく何かを広げたり、披露することよりも、私はこういった日々の取り組みが望む人生を実現していることを実感できることが喜び。   そして、そういった実践の中での気づきや成長が、ソウルの使命である経験をとおして伝えることへとつながっている。 喜びが喜びへとつながっています。 今回大きなテーマとして「苦味を手放す」というプロセスの中で、私自身「まだあったか!!」と感じる、とことん深い部分での自分の手放しのプロセスに気づいていきました。 気づくべきテーマがあるとき、私のリアリティは本当にスローで重たくなる感じがします。理想を実現したいのに、相反するエネルギーが張り付いている。 今回は「手放すべき気づきがある」という感覚とともに、そんな日々をいきていました。 そこで自分に問うのは 「私が手放す必要のあることは何か?」 「私が望んでいる使命を生きるために必要な成長は何か?」   問いかけたら日常を眺めていく。 日常の中にメッセージは散りばめられているからです。 ただし、普段の日常生活の中では、思考がとても優位に働いている状態なので、眺めていても気づきにつながる瞬間は、思考が緩んで本来の感覚が出ている瞬間。全く関係のないような時だったりします。 私はその気づきを得る瞬間を生み出すために、瞑想を日常で取り入れているとも言えます。 今回も瞑想を終えてヨガを始めた時に、様々な日常の出来事の点が繋がり、メッセージになって流れ込んできた瞬間がありました。 真面目で優等生な私じゃなくても、ダメな私でも受け入れて欲しいから迷惑をかけることをしている。(母への想い) 自分で頑張らなければ手に入れられない日々はもう完全に終わり。努力根性ではなく、願ったことはあらゆるところから叶う流れが入ってくる。自分が受け取るに値することを心から受け入れ統合する。 という二つのメッセージでした。 もう、どこまでもどこまでもこのテーマよ!と笑えるのですが、確実に以前よりもエネルギーは軽くなっている。 使命を生きるなら、この程度でいいよねではなく、とことんですよ!と言われているように感じた瞬間です。 と同時に、私はこうやって気づく瞬間が本当にソウルの喜びなのだと感じます。 気づきを受け取る時、吹奏楽部の演奏で世界が溶け込んだ瞬間のような、心が震えるような感覚になるんですね。   気づくことができれば、癒すことも手放すこともできる。 そのためのお試しのような現実がやってきます。 至る所でキーワード 「You deserve it」 「Believe」 がやってくる。 そして、 こんなに簡単に手に入れていいの? と内心では戸惑うほどのギフトがやってきます。 しかも家族でとかじゃなく、名指しでやってくる。笑 戸惑う自分も感じながら、それ以上に感謝と笑顔で受け取ることを意識しています。   20代の時の私は、欲しいものを簡単に手に入れる人たちが羨ましく、時に嫉妬心や妬みのような感情と怒りが混ざってしまうことさえありました。 そんな自分がいやで、感情は押し殺し、私は努力して頑張って手に入れるのだ!という想いを強くしていました。 それは、私が私にかけていた制限(それしかないという)であり、呪文でもありました。 本当はもっと簡単に手に入れたいし、真面目に頑張らない私もOKとしたい。   心の奥でずっと私が望んでいたのです。 10年くらいかかっていますが、私が今辿り着いているところは、あの時に私が望んでいた理想であり、それ以上の今だと感じます。   2020年はそんなひとりひとりが生きる日常生活を通して、一人一人が望む未来を実現する実践をガイドしていきます。 そのために今、準備に奔走中です!   また、今年からは目には見えないけれど存在している、私が日常で取り入れ実践している内容を、ワークショップとしてお届けしていきます。   基本的にセミナーやワークショップの最新情報はメールレターでお届けしているため、気になる方はメールレターにご登録くださいね! メールレター読者の方限定のご案内や、優先的にご案内している内容もありますので!     BeMyLifeLetter~本来の自分と繋がり、自分らしい満たされた人生を生きる~ 読者登録フォーム お名前(姓名)   メールアドレス powered by ReserveStock 2月のワークショップは本日12日の夜オンライン開催です! 本日19時まで申し込み可能ですので、気になった方はぜひご参加ください。