マイライフスタイル

あなたへのメッセージ

一人で頑張る、なんとかしなくても大丈夫。

オーストラリアからHolistic Being Lighthouse ライフコーチ河合ゆうきです! クライアントさんをはじめ、私のところに集まる方の多くは頑張り屋さんです。 本人はその自覚はあまりなく、それが当たり前だと思っているのですが、かなり頑張っている方が多いです。   で、何を頑張っているのか?というと、 様々な〜でなければならない!〜しなければならない!で自分自身を律して頑張っている。 人生をもっと良くしたいと思っていたり、キャリアやライフスタイルを変えたいと奮闘していたり、もっと幸せになりたい、達成したいって頑張っている。 自分に厳しく日々を生きているからこそ、人間関係の中で人にイライラすることもでてくる。 本当は、フッと力を抜いて、誰かのヘルプや力を借りてもいいし、実はそこまで自分で頑張らなくても大丈夫なことがたくさんあるのですが、それに気づかず一生懸命に日々を生きています。   そこから、クライアントさんたちは自分への優しさ、自分が本当はどう感じていて、どうしたいと思っているのか?という本音に気づき、その本音を叶える選択を一歩ずつ始めていきます。 そして、現実が変わることを体験していく中で、自分にかけている様々な「〜でなければならない」を手放し、本来の自分で心地よく日々をいきられるようになっていくんですね。   私自身も、10代20代はただ一生懸命様々な「〜であるべき」「〜しなくちゃならない」を自分にかけて生きてきました。 大学生で所属していた進行性難病の団体のボランティアでも、50代60代の人生の先輩たちに、「お前はもっと気楽に生きた方がいいぞ!」と何度言われたことかw 当時はその度に「気楽って!?」とその言葉の持つ意味を理解できないまま、それまでのパターンで走り続ける人生を生きていたと思います。 私が頑張ることを手放しはじめたのは、オーストラリアにきてからのことです。   抱えていた「〜するべき」「〜でなければならない」というものは幻想であり、そんな決まりはどこにもないことを知り、国際色豊かな友人たちの中で、自分が本当にどうしたいのか?ということを選ぶ日々になっていきました。 そして、困った時は助けてもらう。年齢関係なく、得意な人、知っている人がさっと助けてくれる日々を体験しながら、ひとりでなんとかしようと頑張ることを手放すようになりました。 そうすると、周囲から実は投げかけられていたヘルプ、助け、優しさに気づけるようになる。 そうやって今度は「受け取る」ことを学ぶ。 最初は「いいのかな?」「何か私もお返ししなくちゃ!」と、受け取ることへの感謝よりも他のことに気持ちや思考がぐるぐるしていた状態から、より大禁止店で恩や優しさの循環を理解できるようになり、受け取り感謝すること、そして自分ができることで還元していくことがわかるようになりました。 そうやって、今ではかなり楽に日々をいきられるようになっています。   実は今回、妊娠が分かった時に改めて自分の変化、成長を感じたんですね。 以前の記事にも書いたように、妊娠が分かって戸惑ったことはもちろんあったのですが、それ以上に「大丈夫」という安心感がすぐに湧き上がってきたことが、私にとっては嬉しく、今が最善のタイミングなのだと思いました。 海外での妊娠出産、子育てに対して、不安はもちろんあります。 でもその不安の深さ、大きさは数年前の比にはならないほど軽いのです。 それは、一人で頑張らなくていいということが分かっているから。 助けてくれる人、困ったら相談できる人たちが私の周りにはたくさんいることを知っている。実際に、妊娠してから、確認したいことや知りたいと感じることのほとんどは、ちゃんとその情報をえられる機会、人とのご縁があります。 日本の家族のサポートを受けることはより難しい状況になっていますが、パートナーもその家族もサポート体制をしっかり考えてくれていることがわかって安心しています。 ザ・オージーな彼は、父親を亡くす経験を通して、本当に大切なことをその時に大切にする生き方をすると改めて強く思っています。 だから、ワンオペなんて言葉に対しては超否定的。家族を大切にしたいという気持ちから、すでに様々なプランが色々浮かんでいて、出産後も面白くなりそうだと感じています。   20代半ばの時、看護師の5年目以降のキャリアを一生懸命考えていた私にとって、働きながらワンオペに近い状態でも子供がさみしくない働き方を、いつも頭の片隅で探していました。 でも、私が探していたのは、そんな働き方ではなかった。 私が探していて、手に入れたかったのは一人だけで頑張る子育てではなく、夫婦で当たり前に育てていくことや、家族や地域、コミュニティの力も借りながらの子育てだったのだと、今わかります。 もちろん、そのためにどうするの?という問いの答えを日々取り組んでいくわけですが、一人で頑張らなくて大丈夫ということが分かっているって、本当に気持ちが軽い。   もし、あなたが今ひとりで一生懸命に頑張っているのだとしたら、ぜひ抱えている「〜でなければならない」にはどんなものがあるか?見つけてみてください。 気づくことができれば、手放すことも、変えることもできますよ。    

河合ゆうきのこと

妊娠が分かった時の戸惑いと手放し。

オーストラリア ブリスベンから ライフコーチの河合ゆうきです! 妊娠のご報告をさせていただき、たくさんの方からのコメントをいただき、新しい命を授かることで起こる幸せの連鎖を実感しています。 暖かく見守っていただいていることや、命の誕生とはそれだけで人々に喜びを与えることができるのだと、なんともいえない暖かさと新たなステージの学びを体験しています。   ↑現在の我が家のベビーは愛犬 私自身、看護師時代から向き合ってきたのは「人の死」。関わる人々の「死」から私は「生きる」ことを探求してきました。 後悔しない人生を生きるとは? 誰もが避けることのできない「死」というリミットから、私たちは何を学びどのように生きるのか?を真面目に考え、自らの人生で問い、実践してきた部分があるんですね。 紆余曲折もありながら、私は現在の私なりの答えを持ち、毎日を後悔しない日々として生きることができるようになってきました。   そのプロセスの中では、子供の時に本当は言いたかったのに言えなかった想いや感情、寂しさや孤独に気づき、解放していくステップがありました。 この子供の時の孤独、寂しさ、言えなかった想い。 それは、両親が悪いわけではなく、私が人一倍空気を読み、自分で勝手に決めたり思い込んだりしたことから起きた感情たちです。 ただ、それらの行き場がなく、ずっと心根に沈んでいた感情は、20代になった私に様々な不安として影響していました。   私は子供の時から、自分の感情を表現することが得意ではなかったと思います。嬉しいとか、楽しいと言うことは表現できても、嫌だとか、怒りとか、悲しみを表現することは苦手でした。 だから、我慢したりこらえて表現せずにいたことが多かった。 その結果、大人になってからもそれらの表現が苦手だったんですね。 両親もまた、感情を表現するコミュニケーションは得意ではなかったのだと感じています。日本の文化社会背景として、それはよくある光景でもあったのだと思います。 だから、子供の時に親友は感情表現が豊かで、そのお母さんもまた感情表現が豊かなことを知った時、戸惑ったくらいです。笑 また、20代でワーキングホリデーをするまで、私は本当に様々な「〜でなければならない」「〜であるべき」という固定観念や社会通念の影響を受けていました。 本当はもっと自由に気楽に生きたいと心では願いながらも、それを自分にOKできないまま、必死に生きていた感じでした。 肩の力を抜いていきること。「別に絶対〜であるべき。」と言うことはないのだと言うことをアラサーにして学び、着込んでいた固定観念の鎧を脱ぎ出したのは28歳からです。   そんな背景があって、私は自分が母になることがちょっと怖かった。 自分の子供が自由にその子らしく生きることを見守れる親になれる自信がなかったのです。 だから、幼児教育や様々な教育についても自分なりに本を読んだりしていた時期もあるくらい。 一方で知識だけ知っていても、自分がそれを実践することができなければ意味がないこともわかっていたから、色々ともがいていた20代でした。   そんな20代を過ごし、30代になってやっと子供を持ってもいいかなと思えるようになりました。 様々な解放や癒しが進み、学びが統合されていく中で、私はまず私を生きていると言う実感がえられるようになったこと。 一人で頑張ることを手放し、人に頼ったり、助け合いながら生きることの心地よさや素晴らしさを体験してきたこと。 そして、子育てとは学びなのだと理解し出したことで、それまでの自分がしっかりしていなければならないと言う鎧も脱ぐことができたのです。 とは言え、ライフコーチの仕事や、チームの仕事、見えてしまったビジョンの大きさから、今は仕事を!と思っていたのも事実。 35歳でまずはひとりは産めるようにと、体と心のケアはしておこうと思ってはいたものの、妊活と呼ばれるようなことはまだ何もしていませんでした。 なので、今回の妊娠は本当にびっくり。 ただ、不思議と義理の父の計らいが絶対にあることを感じた私は、この命は大切に育まなくてはならないと思いました。 と同時に、20代の時から向き合ってきた葛藤や不安の最終章のような感じが全身に広がっていました。   私が歩んできた20代後半から現在までの日々。 その中で、私が不安に思っていたことはひとつひとつ解消されてきました。 感情を表現できるようになった私。 様々な固定観念に気づき手放してきた私。 今もなおそうやって変化、成長し続けている私。   親子のコミュニケーションについても、どうしたら良いのか?をイメージできるようになったのは、オーストラリアで出会った人々、ご縁のおかげでもあります。 愛を素直に表現すること、大切なものを大切にする生き方を実践している人々、子供をそのままに見守り育んていく子育てをしている先輩ママたちとの出会い。 とにかく、出会ってきたご縁が全て、たくさんのことを教えてくれ、気づかせてくれ、大丈夫だという安心を与えてくれました。 そして、パートナーと向き合ってきた日々、妊娠が分かってからの彼の劇的な変化や本来の本質がより発揮されてきた姿を見ると、「今が最善なのだ」という感覚が広がっていくのでした。   そんな気持ちの変化の中で、私が最後まで握りしめていたものがあります。 それは、自分の家督について。 事実婚をこれまで貫いてきたのは、それが私にできる家督についての一つの選択だと思っていたからです。 でも、私は名前が変わったとしても、実家や先祖代々をないがしろにするつもりは一切ないし、お墓まいりや家のことも私なりのベストで取り組むことを決めています。これまでもそうやって関わってきた。 社会が様々に変化していく中、大切に引き継がれたり、受け継がれるものとは、目に見えるものだけではないことを実感しています。 形が残されても、気持ちやスピリットが全くこもっていなかったら、そちらの方が意味がないと私は感じる。 だから、私はどうしたいのだろうか?と問いた時、事実婚ではなく籍を入れて私の家族を育みたい。という気持ちがありました。 だから、それを選ぼうと今は思っています。   私にとって、これは比較的大きな手放しの感覚があります。そして、これまでずっと抱えてきた錘がひとつ外れていく感覚。   新しい命が育まれるという奇跡によって、私は改めて自分のこれまでの人生とこれからの人生を結ぶきっかけをもらいました。   「生まれる」という誕生の力のパワフルさを感じ、生命力によって与えられる様々な気づきを受け取りながら、私はより私らしく生きようと思っています。          

アストロガイド

2020年最高の開運日6月20日に何する?

ホリスティックビーイング・ライトハウス ライフコーチの河合ゆうきです!   もうすぐ北半球の夏至、私が暮らすオーストラリアの南半球は冬至を迎えます。 今年はその6月21日に蟹座の新月があり、日食となるパワフルな新月です。 天体の流れと私たちのプロセスやタイミングについては、メールレター内でお伝えをしています。 大きな流れは世界中の占星術師の方が伝えてくれているものと変わりはありませんが、私という人間を通して星を読みメッセージを綴ることで、私だから伝えられること、伝わることがあると感じています。 実際に、私のところにご縁が集まる方の占星術リーディングをさせていただくと、ホロスコープを読むというよりもストーリーが見えてくる感覚。なぜ、その体験をし、その家族や環境を選んで生まれてきたのか? そこからその人がその人生に望んできた大いなるストーリーを紐解き、今まさにそのどこに位置しているのか?どんな課題をどのように超えていくのか?をお伝えすることが私の星読みの醍醐味なのだと感じています。 まだまだ、駆け出しではありますが、占星術を活かしてその人の本質を生きることをサポートする。コーチングメソッドと掛け合わせることで、自分らしく幸せな人生を生きる日々へ本質的にシフトできるのだと感じ、その可能性を日々感じています。 継続コーチングを受けている方は、この占星術リーディングを合わせて受けていただくことで、本来の自分らしさという回帰していく場所がわかるようになる。様々な側面から、自分の持つ個性を知り、受け取っていくことで、ありのままの自分を肯定し、真の自尊心が育まれていきます。 占星術リーディングセッションは毎月限定人数でご案内をしています。     さて、そんなもうすぐやってくる蟹座の新月の前日の6月20日は、2020年に2日だけの最高開運日。 天赦日(全てにおいて吉日とされる)と一粒万倍日(一粒の籾(もみ)が稲穂のように万倍にも増えるという吉日)が重なる日です。 何かを始めるとその実りが万倍にもなる。 タネをまくのに良い日。 お金を使うとそれが万倍になって帰ってくる。 とされ、借金など借りる行為は避けたほうが良いとされますが、自分のアクションが万倍にもなって戻ってくる日です。   2019年から私は目には見えないけれど存在している波動、エネルギーを活用する生き方をしていますが、こういった吉日はやはり波動がよく、意識して過ごすことでその後の循環が変わることを実感してきました。 今回はどんなことをしようか?と考えた時、ふとお金を使うのなら波動の良いもの、自分が本当に手に入れたくて生活の一部にあって欲しいものに使おうと思いました。 そこで浮かんだのが、アストロガイドでのお買い物! ASTROGUIDEとは、SpiritualとRealを融合してSpireal Worldを作ることが使命であり喜びの人たちが集まり、SpiritualityとReality が共存する Spirealityという概念を人々のマインドとフィーリングに目覚めさせる為に、宇宙からやって聞きたソウル達のガイドとなるべく発足したポータルサイトです。 私もコーチとしてコーチングセッションのサービスを提供していますが、このサイト内にはグッズの販売もあるんですね。 アーティストの方々の作品が展開されているんです。 シドニーガイアハウスのマキさんを通じて集まるご縁のコミュニティから生まれたアストロガイドなので、目指す世界や生きる姿勢が共鳴するメンバーの作品たち。 実は、私の仕事や私生活にぜひ持っていたいと思っていた作品や商品があって、その購入を6月20日にしようと決めました! 何を購入するか、したかは手元に届いてからシェアしますね! ただ言えるのは、とっても波動が高くて愛に溢れた商品にお金を使い、それを受け取ることが楽しみなこと、そしてその先の循環がより豊かになっていくイメージが明確なこと。 決めた瞬間からワクワクしている私がいます。 アストロガイドに並ぶ様々なサービスや商品は、そのエネルギーや目指す世界が本当にクリアで平和なエネルギーです。 これまでの資本主義や物質世界の中で、物は飽和した時代になり、物以上にそこに込められた想いやエネルギー、ストーリーを重要視する人は増えてきました。 それでも、まだまだお金儲けのためだけのものや、表層は取り繕ってはいるものの、想いや波動はいまいちなものもまだまだ世の中にはたくさんあります。 だからこそ、自分が手にするもの、身につけたり生活の中のものに込められたエネルギー、その背景にあるストーリーが確かなものを選ぶことができる場所やお店を知っていること、その商品やサービスに込められている想いやストーリーを知る習慣を持っていたいと思います。   アストロガイド内でのサービスや商品の購入は、ID「ASTROT4」を入力することでサイト内で使えるポイントを貯めることができます。 どんなサービスや作品があるか? どんなメンバーが集まっているのか? ぜひのぞいてみてくださいね。 astroguide サイトページはこちらから  

私の考え・気づき

自分に気づいていくプロセスは誰かと一緒ならば軽やかな旅になる。

オーストラリアブリスベンから ライフコーチの河合ゆうきです。   COVID−19による自粛や自宅待機期間が世界各地で開け、社会の動きが少しずつではありますが出てきました。   これまでにないことが次々と起きてくる世界の中で、私たちは既に持っているものを確認し、大切なことのバランスを見出しながら、新たな生き方のスタイルを見出していく。 そんな風に社会を眺めていました。 私といえば、2020年の頭から、とにかく人生のテーマの再確認と、次のステージのための準備が次々と進んでいて、側から見るとゆっくり流れている世界の中で、かなり激流のごとく色々な変容が起きています。   大きなテーマとしては、深い深いインナーチャイルドの傷をとことん浄化している感じでしょうか。 私にとって、家族、生と死は人生の大きなテーマでもあるのですが、家族という単位が、家系という大きなレベルでテーマを掲げてきているような感じがしています。   このテーマと今回の関わり方は、2年前の私ではまだ動揺したり、決断できずに過去のパターンを繰り返していたかもしれません。 でも、今回は確実にそれまでとは違った視点で捉え、自分の軸にしっかりと根ざして俯瞰している私がいます。 そして、「どうすべき」ではなく、「どうしたいか?」が自然とわかる。   人生にはこうやって成長したごとにそのステージで、課題やテーマがなんどもやってくる。 でも、成長している自分だからこそ超えていくことができ、その一つ一つを新たな成長のタネへと変えていけるのだと感じています。   この大きなストーリーはもう少し消化に時間がかかりそうで、言葉にできるタイミングで表現していきたいなと思っています。   自分に気づいていくプロセス 今、朝活として開催しているカラーレゾナンス。 集まったメンバーが思っていること、感じていることをありのままにシェアすることができる、安心安全な場です。 毎回最後には、それぞれがピンとくる色からのメッセージをお伝えし、本来の自分を生きるプロセスをガイドしています。 繰り返し参加してくれている方も、どんどん自分のプロセスを進んでいくのがわかるし、集まったメンバーが持ち寄る話題やテーマが、他の参加者に必要な気づきを生み出していくのがとても心地よい場です。 毎回、参加する中でのテーマや話から、それぞれが自分を確認する場所のような時間になっています。   私自身、自分に気づくプロセスは、割と一人で取り組んできた時間が長くありました。 もともと内省が得意なことや、ノートを使って自分で書き出すことに抵抗がないこと、ワークが比較的好きなこともあり、そういった時間は面白かったのを覚えています。 ただ、その時間では気づくことができなかった「わたしらしさ」「わたし」に気づけるようになったのは、ひとりではなく、グループや人の力を借りての時間でした。   目から鱗のように、なぜ気づかなかったのだろう?と思うこともあるし、自分のこととして受け取ることができるまでに、出会うご縁が必要だったのだなと感じることもあります。   確実に言えるのは、一人でひたすら自分に向き合っているだけは、気づかなかったこと、気づくことができなかったことがたくさんあるということ。   だから私は、セミナーやワークショップでのグループや集まるご縁を大切にし、そこで生まれる気づきが大好きなのです。   一人では気づけないこと、一緒に語ったり、向き合ったり、声を掛け合うからわかること。   これからの時代は、そんなふうに、自分という存在を理解し、どんどん軽やかに自分らしく生きていくことができる時代なのだと感じています。 実際に、インターネットとオンラインのおかげで、世界中から繋がることができるのですから、飛行機で会いにいくより早くて軽やか!   COVID-19による緊急事態宣言は解除されてはいますが、カラーレゾナンスオンラインは、今後も定期的に続けていく予定です。   安心して話ができる、自分を生きる、自分を知るためのプロセスが自然とわかる。そんな時間です。

私の考え・気づき

海外で戦争について気づく、みんな同じという感覚と、そこからどうするか?という視点。

オーストラリアから ライフコーチの河合ゆうきです! 4月25日、オーストラリアはANZAC Dayでした。 アンザックデーとは、第一次世界大戦のガリポリの戦いを戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍団の追悼の人して始まった祝日です。 今では、全ての戦争や国防に関わる人々に対する感謝と敬意を表現する人なっています。   ワーキングホリデーでオーストラリア生活を始めた時、語学学校でたくさんのオーストラリアの文化を学びました。アクティビティの中で、なるほどと思いながら感じたことがたくさんありました。   アンザックデーでは毎年、国防に貢献した人々、戦争で実際に戦いを経験している人々がマーチをし、そのパレードに人々が集まります。 パブでは毎年集まったメンバーがそれぞれの近況を語り合ったり、戦争の記憶をシェアしてくれる場面もあります。 私のパートナーもアーミー(陸軍)に所属していたので、様々な経験と知識をシェアしてくれることもあり、私は日本にいた頃には全く知らなかった世界、気づかなかったことに気づく時間を過ごしてきました。   今年のアンザックデーは、コロナウィルスの影響もありこれまで毎年過ごしてきたアンザックデーとは違い、ロックダウンの中それぞれができる範囲でその敬意、感謝を表現する日となりました。   毎年この時期になると、第一次世界大戦の時の話や、その後の様々な戦争のストーリーが新聞やニュースで取り上げられます。 それを読んだり聞いたりしている中で、私がこの数年で気づき変化したことがあります。     それは、みんなどの国も同じなんだということ。   それはどういうことかというと、日本にいて日本で戦争の話を聞く時、日本軍は味方であり、アメリカや他国は敵であったりします。 そして、原爆経験もある日本にとっては、私たちは被害者であるという感覚が少なからずある。私自身、これまで受けてきた教育の中では、俯瞰して大きく見る視点以上に、自国を中心とした世界の見方を育んできたのだと感じています。   そこから、オーストラリアで戦争の話を見聞きすると、日本軍が豪軍を攻撃し、多くの人が亡くなっている事実がある。こちらで聞けば、日本という私が生まれ育った国は敵になり、多くの人々の命を奪った存在であるのです。   最初の頃は、その事実を見聞きするたびに、心が痛む感覚、居場所がなくなるような感覚がありました。 自分の国を誇りに思いたい自分と、自分が生まれた国も実は世界の様々なところで命を奪ったり、捕虜に対してひどい拷問をしていたりする。 そういう事実があることを知るたびに、何とも言えない気持ちを感じていました。 でも、それが事実なのです。そして、それは日本だけではないのだということに気づき始めていきました。 より大きな視野が私の中に育まれ、様々な戦争の記録、映画を見るたびに、どの国も同じなのだと感じるようになっていきました。   これまでの歴史で見ても、領土を拡大していた時代は、そのために一般の全く普通に暮らしている人々が命を奪われたり、住む土地を奪われたりしている。でも、立ち位置かが変われば被害者にもなり、加害者にもなっているのだという事実がある。 結局、私たちは互いに同じようなことをし合っていた時代を生きていたのだということに気づかされたのでした。   だからこそ、誰が悪いとか正しいという二元性で議論していくことよりも、そういった事実がある上で、私たちは今とこれからをどう生きるのか? に人々が意識を向けていくことが大切なんだと、今年のアンザックデーでは感じていました。   海外で暮らすという経験が与えてくれるものを改めて実感しています。 日本にいただけでは気づかなかったことがたくさんある。 そして、現地で暮らし、現地の人々と交わっていくことで、そこにある様々な制限や偏りに気づき、それらを超えていくことができるのではないかと感じています。    

あなたらしく生きる

看護師、家族として、胃が痙攣するほどの怒りからの気づき。

ライフコーチ河合ゆうきです。   オーストラリアで、現在家族が在宅ターミナル期を過ごしています。 がんの終末期ということで、ブルーケアナースと呼ばれる訪問看護を利用して、痛みのコントロールをしながら自宅での生活をしています。 自宅らからこそ、好きな時間にシャワーを浴びたり、大きなテレビで音量を気にせずテレビを見たり、家族がやってきて会話しているのを眺めたり、ベッド、車椅子、ソファを自由に選択して、たくさんのクッションを使って体勢を整えられる。 口からの水分摂取も、栄養摂取もできなくなって1ヶ月が経ちますが、その生命力には驚かされるものがあります。   大好きなシャワーも、椅子に座りながら、酸素を使いながら1時間くらい浴びる。ちょっと疲れるけど、サムアップしながら笑って出てくる姿を見ると、私の中には喜びがあります。 そんな瞬間を私は支えられる存在でありたいのだと、看護師だった時も感じていたことを思い出しています。   大学病院でたくさんの患者さんと家族に関わり、最期の時に立ち会うこともたくさんありました。 病院を選択することの方が安心な人は、それでいいと思います。 でも、自宅で過ごしたいと願うなら、そのための調整をして、自宅で過ごすこともできます。 大切なことは、本人がどのように過ごしたいか? 私は大学病院での看護の中では、時間的、物理的、人員的な制約の中で、患者さんのニードに応え切れないもどかしさをたくさん感じました。 大学病院を退職後、訪問看護や訪問入浴をを始めた時、自宅で暮らしている人たちを支える看護に喜びを感じました。 病院とは違い、暮らしているその人と家族を中心に、様々な工夫を凝らしながら望む暮らしを整える。 その人らしく生きることを助ける看護がそこにはあり、そのための勉強や知識は看護の領域はもちろんですが、日常の様々なことが気づき、学びとなる日々でした。 それが私はとても楽しくて、嬉しくて、これが私が取り組みたい看護だと感じたのです。 ワーホリから戻ったら、地域看護を中心に私のキャリアを考えようと思っていたくらいでした。   と、そんな風に私はその人らしい生活、人生をサポートすることに喜びがあります。 家族の看護をするときも、その本人と家族の要望、気持ち、願いを叶えるためにできることをする。 そんな毎日です。   そんな中、先日ひさびさに、私は胃がキリキリと痙攣するほどの怒りを感じる出来事がありました。   それは、利用している訪問看護で、これまで我が家には訪問をしたことのない看護師がやってきた時の出来事。   簡単に書いてしまえば、その看護師は、療養している本人と家族がどんな思いで在宅療養を選択し、日々弱っていく中でも本人の希望を叶える生活をしているかを一切考慮していない言葉を発言し続けたのです・・・ これはその一部なのですが・・・   「その状態だったら、ベッドで横になっているべきです」 → やせ細り、骨ばっている状態では、20個の枕やクッションを使って体位を整えたとしても、ベッドだけではなく、ソファや車椅子で過ごす方が本人にとっては安楽であり快適なのです。家族と関わったり、テラスで過ごしたり、その瞬間を精一杯生きているのです。 「いずれ、病院に入院すべきです」 → 「病院で最期を迎えたくない。自宅で最期を迎えたい」という本人の希望を叶えたいと、家族は覚悟を決めて日々ケアしているし、私も元看護師としてできることや、最期が迫った時はできる限りサポートすることを決めています。   これを読んでどんなことを感じるでしょうか?   私は、ちょっとびっくりした後に、胃がブルブルするほどの怒りが込み上げ、その後は悲しくなったのでした。 ちなみに、ブルーケアナースの車に掲げられているビジョンは「 Live life your way」、それなのに、まったくその人の生き方をサポートする姿勢ではない・・・と思いました。 怒りがブルブルしていた時は、 オーストラリアの訪問看護のスタッフ教育はどうなっているのか? 患者の情報共有はどのようにされているのか? 訪問看護の基本は、家で暮らしたいという、その家族の希望を叶えることではないのか? 看護教育(大学、専門などの違い)や臨床での経験の差でこういうことが起きるのか? 人の違いか?  そもそも看護って全人的看護が基本ではないのか? など、思考でたくさんの声が渦巻いていました。   そして、家に帰ってから、相方にそのことを話していると、悲しくなって涙が溢れた私。 冷静になり、なぜこんなにも怒りと悲しみを感じたのか? 自分を見つめると、そこには私が人生の中で一番大切にしていることを改めて確認することになったのです。   私は目の前で見えるリアリティという現実だけではなく、それまでのストーリー、思い、意志や感情などといった、そのリアリティの背後にある目には見えない部分を含めて、目の前のこと、人に関わることを大切にしたい。   それは、全人的な関わりを大切にしたいと表現できます。   特に看護であれば、ただ医師や診療の介助ではなく、その人を看て本来のその人の治癒力を高める、その人らしく生きられる、人間の尊厳を尊重する関わりをすること。   大学で看護学を学んだ時、最初はよくわからなかった看護学も、実際の臨床で患者や家族と関わる中で、その意義、奥深さを実感し、看護学が示す全人的看護への探究をし続け、看護を誇りに思うようになりました。   実際、血圧や脈拍数などのバイタルサインのチェックや、薬の投与、清潔を保つケアなどは、その技術だけでよければ今後はAIで十分な仕事です。   それでも生身の人間、それぞれの人生を経験している人間が看護をすることが必要なのは、   人間は全人的な存在だからです。   身体的、精神的、社会的、霊性的 という側面をもち、それらが複雑に関連しあっている存在であり、今生きるリアリティを創り出しているからです。   身体的・・・身体、日常生活での動作におけるもの 精神的・・・心理的な側面、感情や感覚 社会的・・・経済、仕事、家庭、人間関係など 霊性的・・・人生を生きる意味、価値観、生死感など   たとえば、健康でありたい、幸せでありたいと人が表現する時、その人にとっての健康や幸せを定義し決定づけていく背景には、こういった側面があります。   どれか一つだけ良好であったとしても、それでは心から健康や幸せとは言えないはずです。   それぞれの人に、それぞれの最善のバランスがあり、それを全体として整えていくことが、本来のその人らしい生き方となり、その人に必要な癒しや成長が起きていくのです。   こういった部分をまったく前提にしていない関わりを受け、私は看護師としてのあり方に怒りを感じたのです。   そして、私はこれまでの人生でずっと、この全人的な関わりを大切にしてきたのだと確認したのでした。   だから、とても悲しくて、家族の痛みとともに傷ついたのでした。   今、このタイミングで胃が痙攣するほどの怒りを感じる出来事が起きる。   私が何を大切にこの人生を生きていくのか? 私はこれまで何を大切にいきているのか? 変容のための気づき、何を手放し、何をコアに生きるのか?   それに気づかせてくれる体験となりました。   実は、胃が痙攣するほどの怒りを感じた場面はここ数年本当にありませんでした。   で、振り返ってみると、 過去にこんなに煮え繰り返るほど怒った経験は   ・看護師新人時代の御局様の看護師としての態度と関わり ・高校時代の新顧問のワンマン運営   といったエピソード。  …