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河合ゆうきのこと

目に見える世界だけではない真実に気づいた波動医療との出会い⑥ヒロインの旅とガイアハウスという縁起

ライフコーチ河合ゆうきです! これまで詳細には綴ってこなかった、私の本当の人生のシフトの始まり。 見えない世界、波動の世界との出会いから始まった、私が本来の自分の本質、自分らしさや望んでいること、才能や使命を生きる人生へと生き方へのプロセスを綴っています。 オーストラリアでパートナーと共に暮らしていく。 それは、オーストラリアで私は暮らしていくという決断でした。パートナービザを申請することは、そのための一つのプロセスでした。ビザを申請してから、ビザが降りるまでの期間はブリッジングビザと呼ばれるビザになります。就労や就業条件に制限はないものの、私の仕事探しは難航しました。 仕事が得られないという状況は、それまで私が自分の価値をしていること、Doingで決めていたことを突きつけ、自分に対する無価値感や、自分は一体何者なのか?という深い問いかけをしてきました。 自分にしかできないことを求めて、私は起業という選択をし、そのための学び、準備をし、お客様との出会いやメルマガ読者の方も増えだす現実。 その一方で、私の内側では更に深い部分で「家族と私」という部分での、繰り返してきたパターンに向き合う時でした。     いつも繰り返してきたパターン 2017年の日本の夏の帰国を機に、私はしばらく日本に戻るのをやめました。 私がこの時に気づいたのは、オーストラリアで暮らしていくという決断をした時から、ずっと心の奥深くにある「家族に対してどうしたらいいのだろうか?」という得体の知れないものでした。 それは、まだ感情なのかもわからないモヤモヤとダークで、それでいて重さがしっかりとある不思議な感覚。 それが心の奥に鎮座し、私が本来の自分の人生へと軽やかに駆け出そうとしている足に、錘のように絡まっている。   この気づきから、私はインナーチャイルドワークや、癒し、感情の解放などの探求を始めました。 それは、私の中でこの錘を解放しない限り、理想としている状態や100%夢を叶えることはできないという感覚があったから。 癒し、解放、そして赦し。 それらが必要なのだと感じていたのです。   この錘によって私は、これまで繰り返したパターンがあります。   私の中にある、「家族が皆幸せであってほしい」という願い。 子供の時からそれがあり、そのために私はできることをする。という生き方をしてきたように思います。 それは、遡れば私が4歳くらいの時から。 妹が喘息で入院した時に決意したものでした。 お母さんもお父さんも、妹も大変だ。だから、私もしっかりしなくては。できることをやらなければ、迷惑をかけないように頑張ろう。と思ったのです。 そこから、私の人生の選択は、家族を見渡し、その中でおそらく一番いいと思えるものを選ぶ生き方。 その結果、家族に何かがあったりすると、「私が頑張ってなんとかしなくちゃ!」というスイッチが入る。 何か困ったことや、大変なことが私に起きた時も、「自分でなんとかしなくちゃ!」と一人で頑張りなんとかするというスイッチが入る。 そのパターンで人生を生きてきました。 妹からはお母さん以上にお母さんみたいな姉という形容をされるほど。 世話焼きな長女としていきてきました。   そして、年々その頑張らなければならない状態はエスカレート。 それまでいつもよりも10%増で頑張れば、乗り越えられたり収束できたことが、20%、40%・・・とどんどん頑張らないといけない割合が増えていく感じ。 そして、かなり頑張らないといけない状況になり、自己犠牲感が出てくる自分。   すると、家族なんだからという道徳観との間で自己嫌悪になり、なぜ自分はもっと大きな心でいろんなことを受け入れられないのだろうか?と悲しくなる。 その繰り返しを歩んでいたのでした。   ところが、2017年、それもついに限界になり、私の目の前の現実は理想や望みとは全く逆に進んでいる感じがしました。 みんなが幸せに暮らす。とはかけ離れる現実になり、メンターからの言葉もあり、私はやっと、自分が創り出し、強化し続けている現実に気づいたのでした。   癒しと赦しの実践   パターンに気づく。 このステップは何よりも大切な第一歩。 気づくことができたら、手放すことも変えることもできるからです。   私はこのパターンで頑張ってきた自分に気づき、それをもう辞めて、理想を実現する道を選びました。 選ぶということは、決めるということ。 正直、方法はわからない状態でしたが、進むと決めて理想の状態をゴールとし、イメージすることで、必要な情報や選択、ご縁が入ってくる日々を経験していきました。 プロセスはゆっくりと地道なものでした。 でも、それも私は選んでいたのだなと今ならわかります。 この期間の経験、プロセスこそ、私が使命を生きる上で大切なギフトになっているからです。   私は改めて、興味のあった心理学の世界、スピリチュアルな世界の探求を始めていきます。 特に、トランスパーソナルやプロセス指向心理学は、私の生き方そのものだと感じられる部分がありました。 と同時に、患者さんをきっかけに教えてもらった写経からスタートした仏教の学びも深め、禅僧でいらっしゃる、ティク・ナット・ハン氏の教えは、この時の私に深く染み渡り、人生への新たな洞察を与えてくれるものでした。 そうやって、私が生きている現実そのもの、そしてプロセス一つ一つを大切に生きる日々を過ごしていきました。 ひとつひとつ光を当てて、過去の様々な思い、葛藤、苦しさを見ていく。 そうして見つけては、それでいいと受け入れる。 私の中にある様々な部分を見ていく日々は、時に受け入れがたい自分にも気づいていくこと、消してしまいたい過去の経験も思い出すことがあり、しんどいこともありました。 でも、それらもすべて、私である。 そんな感覚を知り始めていきました。 ヒロインの旅との出会い そうやって、深い深い私の深層心理のダークな部分まで降りていく。 すると今度は、そこからどうやって上昇していけばいいのだろうか?と。海面を見上げている自分に気づきます。 もともと内省が得意で、深めることも大好きな私は、どんどん潜っていくことができたのですが、そこからの上昇の方法がわからなくなっていました。   そんな時、メンターであるおのともこさんが1冊の本のシェアをしてくれます。 それが、「ヒロインの旅 ──女性性から読み解く〈本当の自分〉と創造的な生き方」でした。 その本からの洞察や気づきをシェアしてくれるともこさんのメルマガは、これは私のことでは?と感じるくらい、共感できるものでした。 それまで、起業について学ぶ中で、ライティングやマーケティングなど様々な分野を学んでいました。その中でなんども出てきては学んでいた「神話の法則」。 人々が共感する物語のセオリーです。その法則のもとになっているのが「英雄の旅」。数々の神話の中に共通している英雄の成長の物語のプロセスです。 それは簡単に表現すれば「達成の旅」と言えます。 この物理的な世界の中で、何をし、何を達成して手に入れたのか?という、目に見えてわかりやすい部分の物語。 一方で、ヒロインの旅とは、そういった目に見える部分の旅ではなく、表からは目には見えないあり方としての変化や成長のプロセスを示した「変容の旅」。 ヒロインの旅が示してくれていたプロセスは、自分自身の内面世界の探求と、意識の変容の旅のプロセスだったのです。 このプロセスを知った私。今までの自分の人生(過去)、今いるところ(現在)、これからの未来。 散らばっていたストーリーや自分自身がパズルのようにハマり、一つの筋が通っていくような感覚でした。 向かう先がわかること、今必要なプロセスに気づくこと。 本当に大きくて深い叡智、ガイドの一つを手に入れた瞬間でした。(のちにこれは入り口というか、私の人生のテーマに気づき、過去がさらにつながる瞬間だったと思い知るのですが、それはもう少し先のストーリー) この時に得た気づき、洞察とヒロインの旅が今の時代に必要な理由は、無料のメール講座にてまとめています。 音声バージョンも付いていますので、読むのが苦手な方はオーディオで。ぜひ、ヒロインの旅という変容の旅に触れてみてください。 「新時代の幸せな成功法則~人生の全てがギフトになるヒロインの旅ガイド~ 」 ここで出会ったヒロインの旅と、そこからつながるご縁が、私の上昇に必要な気づきを生み出す強力な後押し、そして新たな働き方にも拡大するきっかけになりました。   そして、ヒロインの旅を知ったタイミングと同じ頃、私はもう一つ、兼ねてから気になっていたことを行動に移します。 ガイアハウスと感情デトックスとの出会い それが、オーストラリアシドニーにあるオーラソマーとクリスタル、占星術のお店ガイアハウスのマキさんのセッションを受けること。 それまでも、ブログを読んだり、動画でのメッセージを観ていた私。でも、気になるのに申し込みまでには至れずにいました。 そんなマキさんの個人セッション。今だという確信とともに、申し込んだのです。それが2018年の年末でした。 そして受けた個人セッションは、魂が震える時間でした。 自分の中にあった感覚は間違っていなかったこと、求めていた感覚を言葉にして表現できるようになる瞬間でもあったからです。 と同時に、そこで理解した私の本質を心から生きたいと感じました。 癒し、赦しの実践として、マキさんが提供している月の感情デトックスプログラムを実践。月のリズムに合わせて、気づくプロセスをあゆみました。 その中で、ずっとあった感覚としてのモヤモヤ、ダークで重たいエネルギーの正体に気づき、それらにも光を当てていくことができました。 誰にわかってもらう必要もなく、私がわかってあげることができた瞬間に、バラバラに散りばめられていた私というパーツが、一つの存在として認識できるようになる。 光も影もあって一つであるという全体性、ワンネス、それが体験として理解できわかった瞬間でした。 そしてそれは、ヒロインの旅が目指す二元性を超えた統合へのプロセスでもあり、私が本当に実現したいゴール、世界、ビジョンがクリアになっていくプロセスでした。 自分を知るという探求を始めてから、私は占星術の叡智、そのガイドの魅力を感じていました。だから、いずれ学ぶと感じていたのですが、なかなか学ぶというアクションには至っていませんでした。 それはおそらく、学びたいという師と出会えていなかったから。 私は何を学ぶか?以上に、誰から学び、どのように学び、実践するか?が大切で重要なのです。 そんな師を見つけ、繋がった瞬間。 マキさんの個人セッションに申し込んだ瞬間から、私はずっと探求したいと望んでいたスピリチュアルな世界、宇宙の叡智を学んで実践する日々をスタートしたのでした。…

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目に見える世界だけではない真実に気づいた波動医療との出会い⑤私は何者なのか?アイデンティティの崩壊

ライフコーチ河合ゆうきです! これまで詳細には綴ってこなかった、私の本当の人生のシフトの始まり。 見えない世界、波動の世界との出会いから始まった、私が本来の自分の本質、自分らしさや望んでいること、才能や使命を生きる人生へと生き方へのプロセスを綴っています。 このストーリーを書き始めてから、たくさんのリアクションをいただいています。オーストラリアに限らず、海外にでたことで同じような体験をしている方も多く、自分を知っていくプロセスの面白さを共感しあっています。 原因不明の体調不良が、波動医療との出会いによって改善。 そこで医師から伝えてもらった「自分に正直に生きることが大切」という言葉。 その言葉に向き合い始めた結果、私は海外で暮らしてみたいという長年持っていた想いを叶えることにしました。 まるで五感のリハビリ、私の感覚が息を吹き返し始めるオーストラリアでのワーホリ。そこでのご縁から「私はどうしたいのか?」「私は幸せか?」を常に問いかけながら生活しました。 そして、ワーホリの終わりを意識し出した時に出会ったパートナーと、その後もオーストラリアで暮らすという選択をしてからのお話。 本日はストーリー⑤です。 オーストラリアで暮らすなら ワーホリを終えたらどうしよう? そんなことを考えていた時、私は現在のパートナーと出会いました。 彼は日本にも行ったことがなければ、オーストラリアを出たこともない人。 そんな彼がなぜ、私に惹かれているのか? 全くもって謎だけど、彼の本能というか目には見えない何かが私たちを出会わせていたのだと、今ならわかります。 何れにせよ、彼とオーストラリアで暮らしていく。という選択は、これまでにない未知の世界であると同時に、私にとってはハッピーやワクワク(というよりもドキドキしていた方が近いかもしれない)な選択であることは確かでした。   ワーホリビザの期間中に、私はゴールドコーストにあるフューチャーセラピーアカデミーでアロマオイル、スウェディッシュマッサージ、リメディアルマッサージを学びました。 その学びを活かし、セラピストとして働きながら、オーストラリアで暮らすということを真剣に考え出す。 当時、彼は私はただいるだけで十分で、何をしていても、何をしていたかも関係のないことを仕切りに伝えてくれていました。 でも、当時の私はその真意がわかっていませんでした。 これこそが、私がここから深く向き合う課題であり、テーマだったわけですが、ただ私は何をしていくか?ばかり考えていました。 なぜなら、私にとって 暮らしていく=自立 という方程式が目の前にあって、オーストラリアでも日本のように自立していくらしていかなければ!というスイッチが入っていたからです。 さらに後から気づいたことは、 自立=なんでも一人でできる、なんとかできること という方程式まで抱え込んでいた私・・・ 彼とオーストラリアで暮らすということは、オーストラリアでもとにかく自立して生きていく術を身につけ、一人でもやっていけるようにならなければ!と焦り出したのです。   私の価値とは?無能で価値なしと言われているような日々   ワーホリ終わりから、ビザ切り替えの当時、セラピストとして働いて職場は私にとってしっくりこない状態でした。 それは、信頼や目の前のクライアントを大切に仕事をすること、ホスピタリティなどを大切にしたい私と、オーナーやマネージャーとの価値観の違い。 売り上げ主義とはいえ、売り上げを得るために大切にすべきところや、時間やお金をかけるべきところが違っていると感じるようなビジネスの仕方と、陰口や揚げ足取りに忙しいスタッフの存在に心底疲れてしまいました。 仕事って楽しいと思っていたし、改善の余地があったとしても、人間関係が前向きな現場でしか働いたことのなかった私にとって、それは初めての経験でした。 そんな仕事がいかに苦痛かを知った大切な経験でもあります。 そして、たとえセラピストじゃなくても、もっと気持ちよく働ける仕事をしようと、仕事を退職したのでした。 気持ちを切り替え、レジュメを改めて作成し、ジョブハントに出る。 ところが、ここから思うようにならない日々が始まるのです。   仕事がなかなか決まらない。   レジュメを配り歩き、アジア系のレストランやジャパレスと呼ばれるところにも配るものの、見事に仕事が手に入らない日々になります。 電話連絡が来た時も、ビザについて聞かれて面接にはならない・・・ 甘くみていたオーストラリア生活。   仕事が見つからないなんて、人生でなかったし、私なら海外でもいけるだろうと過信していた・・・。 仕事が見つからない日々は私に、無能で自立できない人間という言葉を突きつけているように感じられました。 そして、うっすらと気づき始める。   私の価値ってなんなのだろう?   これまで私は、看護師で自立していて、どこにいても暮らしていく力があるということで自分の価値を感じていた。 家で家事をするだけではダメだと思う自分。 こんなの私じゃないと感じる自分。   オーストラリアという私の歴史の一切ない新たな土地は、開放感と自由を与えてくれ、私本来の感覚や感情を取り戻し、それまで身につけてきた様々な固定観念や鎧に気づかせてくれました。 と同時に、それらの鎧を脱いでいった先で見つけたのは、まっさらで何もないような私自身。 私は何者なのか?というアイデンティティさえまっさらになっていた状態でした。 ここから私は改めて、私の価値、アイデンティティと向き合うことになるのでした。 私にしかできないことを求めて ワーホリを決断した時、私の中にあったもう一つの「私にしかできないことをしたい」という想い。 それまで、どんな仕事をしても、その仕事の中で「私だからできること」「私にしかできないこと」を意識し、精一杯仕事をしてきました。 その結果、喜ばれる結果や、社員のオファーや継続のお願いなどを受けることは当たり前だった私。 でも、与えられた仕事に120%で応える働き方ではない、私にしかできないことをやってみたい。 そんな風に思っていました。 オーストラリアではなかなか仕事が見つからず、インターネットを使ってフリーランスとしての仕事をするものの、その収入はお小遣い程度。 満たされないし、理想と全く異なる現実。 この時の日々の現実は「しっかりと向き合いなさい」と私に突きつけてくることばかり起きていました。 優しかったパートナーの現実や仕事がうまくいかなくなったり、喧嘩や言い争いが増えてしまう日々・・・ 仕事やお金を稼いでいない自分を惨めに感じるような出来事・・・ 実家の家族にも様々なことが起こる・・・   これらは私の内面世界がどっぷりと反映された現実でした。 でも、当時の私は、どうしたらいいのだろう? という焦りばかり。   私の価値ってなんなのだろう? 私は何がしたいのだろう?     時は2015年。日本ではSNS起業が流行りだした時でもあります。 SNSを見渡せば、起業に関する様々な情報や、それによって理想の生活を手に入れたと表現する人々にあふれていました。 リア充によって集客しているスタイルは、キラキラ起業とも揶揄された時代です。 それらを眺めながら、その中で私が惹かれるのは、地に足のついた真面目な起業をしている人たち。 泥臭さ、華々しさが全てではないことを見せてくれる人たちの方が、私は信頼することができると思いました。 ワタナベ薫さんなど、生き方や人生のストーリーが響く人に惹かれ、あり方や生き方で人々に何かを伝えられる人でありたいのだと気づいた私。 そうして、私は起業という選択肢を自分に許可し、学ぶこと、メンターを見つけたのでした。   起業のプロセスで自らの人生も思いもすべて棚卸す 私が見つけたメンターは ひとりひとりが持つ内なる“gift”を最高に輝かせ、人と世界を照らす“愛”あるオンリーワン事業、商品開発をガイドしている ダイアモンドプロダクツ開発プランナーのおのともこさん。 ともこさんを見つけて会いに行ったストーリーとそこから今につながるストーリーもまた面白く、見えない世界との繋がりを感じるものがあるのですが、それはまた別の機会に。   ともこさんに師事し、私は私が持っている価値に気づくプロセス、そしてその価値と私らしさを磨き続けることから事業を生み出すプロセスを歩み始めました。   その中で、私の人生の棚卸を何度もし、内省をしながら価値観をあぶり出し、 私は何者なのか? 私の強み、才能は何か? 私はどんな貢献をして、どんな社会を作りたいのか? に向き合い一歩ずつ進んでいきました。   この自分に向き合うプロセスの中で、私は自分が人生の中で何度も確認してきていた、人のあり方や生き方、心の世界の探求とそのガイド、ヒーラーやセラピストとしての資質を確認します。 と同時に、ネガティブに捉えていたことが強みであったこと、傷ついた過去や、引っかかっていた様々な葛藤や思いに気づき、それらを癒して手放すプロセスを踏んでいきました。 さらに、お金や豊かさに関する幸せにはなれない思い込み、家族や親族に絡んだ思い込みや制限・・・ 私が私らしく生きることを許可できない、または無意識で邪魔や妨害しているものに気づき、抵抗することをやめたり、手放すプロセスを本当にマイペースに進んでいきました。 その間、ライフコーチとしてクライアントさんと関わるようになり「私だからできること、伝えられること」も一つ一つ実績とともに実感として積み重なっていきました。   自分に向き合う内省ノートは増え、その度に私は本来の自分を取り戻し、信頼するようになっていきました。…

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目に見える世界だけではない真実に気づいた波動医療との出会い④自分に正直に生きるはじめの一歩

ライフコーチの河合ゆうきです! これまで詳細には綴ってこなかった、私の本当の人生のシフトの始まり。 見えない世界、波動の世界との出会いから始まった、私が本来の自分の本質、自分らしさや望んでいること、才能や使命を生きる人生へと生き方へのプロセスを綴っています。 本日はストーリー④ 日常のあらゆることから一歩離れて 「自分に正直に生きる」 このキーワードを大切にしようと思い、そのために私は自分に問いかけることを始めました。 それまで、Facebookなどでは、日常の中で感じていることや、そこからの洞察を綴ることはありましたが、ノートを用意し、誰に見せるものでもなく自分に向き合う日々をスタートしました。 とにかく何を考え、何を思い、何を感じているのか?という本音を探るような日々。 その中では、友人から教えてもらった瞑想を始めたり、最初はダイエット目的で通い始めたヨガに真剣に取り組むようになったり、外側の世界ではなく、内側の私の内面世界に向き合う意識を取り入れるようになりました。 その結果、ひとり旅で京都や寺院巡りをしたり、患者さんから教えてもらった1日1分写経を始めたり、内観や内省という時間を意識的に持つようになった私。 と同時に、それまで医療関係者しかいなかった友人関係から、新たな交友関係を広げたり、今まで私が触れたことのない世界を広げていきました。   そうしていると、内側に出てくる感覚にも彩が出てきます。 それまで、「嬉しい、楽しい」「不安、心配」といったざっくりとして感覚で日々を生きていたところから、より詳細に「怖い」「不安」「悲しい」「怒り」といった感覚もわかるようになっていきました。 それまで、なんとなくそういった感覚は日常の中であったはずなのに、思考や忙しい日々の中でささっと対処して通り過ぎていることに気づくのです。 そして、私の中であまりウェルカムではないけど、見逃せない感覚のひとつに「羨ましい」「嫉妬、羨望」の感覚がありました。 まだ感情という認識は当時できていなかったのですが、「本当は私もそうしたい、やってみたい」という感覚がわかるようになったのでした。   そこから紐解くと、実は長年感じていた「海外生活をしてみたい」という想いがあり、また「私にしかできないことをしていきたい」という思いもあることが見えてきました。 そこからまずは、「海外生活をしてみたい」を叶えようと決めたのでした。 留学かワーホリかを考える以前に、長期で海外に行って暮らす。ということをイメージした時、長年どこかに置いてきてしまったようなワクワク感や、何かが始まる感覚を全身で感じていました。 長期休暇の海外旅行とは違う、深いワクワクや何かが音を立てて変わり始める予感を感じていたのです。   看護師としての5年目以降のキャリアを一生懸命考えていた時、専門看護師や認定看護師、管理職コース、保健師への転職、様々な選択肢を並べて検討してみた私。 どれもやれそうだし、面白そうでもある。 でも、その感覚は思考の表層で言っていて、心からやりたい!という感覚はどこにもありませんでした。 並べた中から、一番やってもいいと思えるものを選ぶ。 「私はこれまでも、そんな人生を生きてきたのかもしれない」 と気づき、最後にこんな感覚を味わったのはいつだっただろう?と振り返る。   それは、高校生の時の吹奏楽部時代だったなと気づくのです。 部活を引退してから約10年、私はずーっとあの吹奏楽部時代のようなワクワクして、楽しく満たされる日々を探していた感覚がありました。それは青春だったからだと思っていたのですが、どうやら違うということに気づきはじめたのでした。 決めたらまっしぐらに進む私は、5年で退職の希望を出し、海外生活をどのように実現するか?情報を集め出しました。 海外生活をしてみたい。ただ純粋にそれを実現する。 そのための日々は本当にワクワクして、輝いている日々でした。 「ただ、やってみたい」でやれない自分 ワクワクして、準備をして、決めている私。 でも、引っかかることがありました。 「ただ、やってみたい!という気持ちだけでやっていいのか?」という、得体の知れない疑問がある。 だから、28歳で看護師をやめてワーホリに行く!という時に、その目的や、ワーホリで何をしてくるのか?ということは言えないのはマズイことなのでは?とそわそわするのです。 真面目で優等生風を生きてきた私なので、そういった部分の調整と適応はお手の物。 28歳の看護師の私がワーホリに行く聞こえの良い目的、目標をささっと用意する自分がいました。 「自然療法を学んでみたい」 「英語をもっと話せるようになりたい」 その先帰ってきたら何をするのか?と問われることもありましたが、そんなことはわからないというのが正直なところでした。 何れにしても、看護師や保健師として何かしら活かせるはずだと言いながら、私はワーホリに旅立ったのです。 そして、ワーホリを経験して気づくのです。   聞こえの良い理由や目的なんて必要はないこと。 やってみたい、ワクワクする選択と行動の先には、必ず人生や自分らしく生きるための課題もチャンスも用意されていること。   私はワーホリに旅立つことで、本当に深く自分の内側に向き合う旅を始めたのです。   ガチガチな「〜であるべき」を壊しまくる 海外生活で何よりも大きかったことは、私がそれまで抱えていたあらゆる「〜であるべき」「〜であるはずだ」という固定観念を次々と壊すことができたこと。 ・結婚したら自由なことはできない、妻だけ海外で暮らすということは難しい ・ボランティアなのだから真面目に取り組むべきだ ・一生懸命働かなければならない ・ホスピタリティやカスタマーサービスはこうあるべきだ ・何かをするときに目的や目標は重要だ ・英語が話せなければ海外生活はできない etc,etc……… とにかく、本当にあらゆるものが崩壊していく感じがありました。 私はえらく真面目に人生を生きていたようだ・・・・ 小さな枠に一生懸命、私、人生、生き方というあらゆるものをはめ込もうとしていたらしい・・・ そんな感覚と共に、自由、開放感を感じていく瞬間でした。   人生は案外、なんでもありで、自分次第。 場所が変われば常識は非常識になり、当たり前なんて当たり前ではなくなる。 私はどれほど小さな世界で必死になっていたのだろうか?   目の前で、それは無理だと日本で思っていたことが無理ではないと知る。 無理だと思っていたのは自分だけ、または自分の周りの標準が無理なだけ。 とにかく、どんどんあらゆるものが崩れ去っていきました。   そして、出会う人々に必ずといっていいほど聞かれる 「で、ゆうきはどうしたいの?」 「それで、あなたはハッピーなの?」 という問い。   人と関わる中で、無意識に調和を取ろうと自分の意見や本音を脇に寄せていた自分に気づかせてくれた質問でした。 そして、それを辞める。 私はどうしたいのか? 私はハッピーか? この2つがワーホリ期間中、常に私が自分に問うことになったものです。   おかげで、自然と選択基準が私基準になっていく変化を実感しました。 と同時に、吹奏楽部時代の再来か!?と感じるような、人との関わりや人生を生きているという充実感を感じる時間でした。   この期間は、私の感覚、感情、本音に気づくリハビリ期間でもあり、日本で暮らす日々の中で身につけていた、「社会的な看護師である私はこういう人だ。」「この家族の長女の私はこうあるべきだ。」という鎧のようなものを外すような期間でもありました。 で、私は人生をどう生きたいの?   そんなワーホリという約1年の期間の中で、私が身にまとっていたあらゆる「〜であるべき」というものを取り外し、本当はどうしたいのか?という部分に向き合い、日々を生きていきました。 この期間、私は未来や将来という視点はあまり重視せず、「今」にとにかく集中する日々をいきました。 そして、ワーホリの期限が迫ると共に、そこから 「私はどのように人生をいきるのか?」 「私は人生において何をしたいのか?」 という問いに向き合い始めます。   そんなタイミングで、オーストラリア人の現在のパートナーとも出会い、人生の大きな選択、舵を切るタイミングに立っていました。   それでも、選択基準は変わらない。 私はどうしたいのか? 私はそれでハッピーなのか?   日本の実家のこと、家族のこと、私の中に染みつく様々な課題や不安もありましたが、それでも、私の人生で面白そうでワクワクするのは?と問いかけた時、帰ってきた答えはオーストラリアで彼と暮らしていく。というものでした。   だから、それを選ぶ。  …

河合ゆうきのこと

目に見える世界だけではない真実に気づいた波動医療との出会い③なぜ、治る人と治らない人がいるのか?

ライフコーチの河合ゆうきです! 私が本来の自分の本質、自分らしさや望んでいること、才能や使命を生きる人生へと生き方をシフトしたきっかけのエピソードを綴っています。 このエピソードは今から7年前くらいのもの。看護師だった当時の私からすると、本当に衝撃的な出会い、体験となりました。 その一方で、これが本当の始まり。「自分の人生を生きる」「自分に正直に生きる」生き方へのシフト、旅の始まりでした。 本日はストーリー③ バイオレゾナンス医療の体験から、私の疑問はある種の仮説を持ち始める。 バイオレゾナンス医療に出会い、体調不良を引き起こしていた原因を取り除き、身体のバランスを整えたことによって、私はこれまでにないほどのクリアな感覚、健康な感覚を手に入れました。 一方で、大学病院での勤務はだんだんと苦痛を感じるようになります。 なぜなら、目の前で入院治療を受けている患者さんにも、私のような選択があるのではないか?と感じるから。 その一方で、私は自分の今回の体験から感じていることもありました。 それは、「やる気は十分にある。」という青木先生の言葉と、「自分に正直に生きることが大切です」というメッセージから感じていた、自分の人生や生き方に主体的であることの重要性でした。   私が働いていた大学病院の混合内科病棟では、慢性疾患と言われる、その病気と共に生涯生きていく患者さんが多くいました。それは、病気と生きるためのセルフケアや生活の再構築を必要とするケースです。   勤めていた病院にくる患者さんたちという一部の層しか私は見ていませんでしたが、その患者さんたちには、ある種の気質のようなものがあり、性格的な傾向や生き方や態度の傾向などがあるように感じていました。 それはよく言えば、適応や聞き分けの良さ。 その場合、適応しているように見えるのに、なぜかうまくいかない症状のコントロールが難しいケース。 一方で諦めたり、抑えて生きている感じを受けることもありました。 または、診断から長く入退院を繰り返しているケースでは、病気の発症や症状の変動を家族のせいにしてしまい、管理やライフスタイルなどに自分の責任を一切持てなくなっているケースや、誰かに助けてほしいという依存的な心が強くなっているケースもありました。 病気がそうさせるのか? 気質が病気を呼ぶのか? これは私が働きながら、ずっと感じていた疑問でした。 さらにいえば、がん患者さんなども同様で、様々なケースの中で治療の効果や、予後や生活の質に影響している要素が、目には見えない部分で様々にあるのではと感じていました。 その答えが、今回の私の体験にあるように思いました。 どちらも等しいと。 仮に、生き方の傾向が病気を引き起こしたとして、病気の診断を受けて治療をする。そして、その日々の中で、生き方の傾向が強化され、気質のようになっていく。 病院に入院してくる患者さんの全体像をアセスメントする看護師として、盲点に気づいた瞬間のようでもありました。 本来のその人らしさは、もっと奥深くに存在しているかもしれない。 この世界や社会で生きる中で身につけたり、抑えてきたものによって病気を引き起こしていたとしたら・・・ 病気は生き方を変えるためのきっかけ、チャンスとして起きているのだとしたら・・・ そんな考えを持ち始めるようになりました。 この仮説、考えを元にすると、余命宣告をされたがん患者さんの奇跡の治癒や、治らないと言われた病気から回復した人々のストーリーの背景にあるものが見えてくるように思いました。 当時私が働いていた大学病院というフィールドの中だけでは見えない、わからない世界が、確実に私の中に広がっていました。 そんな中、友人がまた面白く、興味深い話を教えてくれるのです。 トランスパーソナルとホロトロピックという考え方 友人が話してくれる「怪しい」という世界は、私が臨床で感じる様々な疑問の探求の糸口になっていました。 バイオレゾナンス医療に取り組む中で、青木クリニックの青木先生が表向きでは指導はしないけれども、患者さんとの関わりの中で大切にしていることがあると言います。 それは、「人間の意識の成長・進化」を支える、意図するということ。 なぜ、意識の成長なのか?というところは、これまでの心理学、精神医学の研究が背景にあります。 深層心理学を研究し、分析心理学を確立した精神科医であり、心理学者のカール・グフタス・ユングによって、精神的な病とその克服のプロセスは、人々の意識のレベルを一段向上させるということが発見されました。 そしてそれは精神的な病に限らず、身体的な病気でも同様であることが発見されています。 ユングの深層心理学から、精神科医で心理学者のスタニスラフ・グロフはLSD(現在は覚せい剤として禁止されている)を用いて人々を変性意識状態に導き、深層心理を探る研究や、トラウマ体験を癒すセラピーなどを研究していました。 そのLSDセラピーで得られた膨大なデータによって、人間には様々なレベルの意識の層があることに気づきます。そして、その意識の地図の作成を通して、心理学の理論を統合しようと試みました。 また、人間性心理学の生みの親であり、人間の欲求の階層を示したアブラハム・マズローは、欲求の階層の最上位に置いていた自己実現の先には、自己超越という階層があることを示しました。 それは、自己を超えた存在への変容、成長を示し、意識の成長と進化をあらわしています。 この背景から、1960年代にマズローとグロフによってトランスパーソナル心理学が創始されました。 トランスパーソナルとは、個を超えるという考え方です。人生の中で人々の課題や困難に対処していく時、意識の成長と変容に鍵があるとしています。 また、グロフはLSDが法律によって使用を禁止されたことで、変性意識状態に導く手段を改めて生み出すことが必要になります。 そこでグロフは、世界中の原住民やシャーマンの方法論を研究し、15年の歳月をかけて薬物を用いずに、呼吸法と音楽、ダンスなどのボディワークを組み合わせ人々を変性意識状態へと導く方法として、「ホロトロピック・ブレスワーク」を生み出しました。 ホロトロピックとは、ギリシャ語の「holos(全体)」と「trepein(向かって進む)」を合成した造語で、「全体に向かう」という意味があります。これは、仏教の示す「悟り」に向かうという意味もあり、個から全体として、一つの宇宙との融合、ワンネスへと繋がっていくことから、「意識の成長・進化」を表す言葉になっています。 このワークの誕生は、人間が古来から変性意識状態にアクセスし、様々な課題や困難を超えていく意識の成長をしていたことが垣間見えるものでもあります。 トランスパーソナル、ホロトロピックにこめられているのは、人が生きていく中で遭遇するあらゆる出来事が、「意識の成長・進化」の大切なプロセスの一部であり、病気も例外ではないというものです。 この考え方を元に、バイオレゾナンス医療では、病気を意識の成長・変容の機会として捉え治療に取り組むのです。 バイオレゾナンス医療の実際 バイオレゾナンスの医療と意識の成長・進化がどのように関係しているのか? それは、実際に病気を克服した方や、治療に当たる医師の話がいちばん伝わるものだと私は思います。 知識や理論を説明されたとしても、実際どうなのか?という体験、経験ベースの話がなければ、やはり真実味も説得力もないと感じるからです。 バイオレゾナンス医療によって、リウマチを克服した方や、ガンを克服した方など、実際の治療の事例があります。 医学会に入っていなくても、それらの情報は書籍として読むことができますので、もっと詳しく知りたい方はチェックしてみてください。 バイオレゾナンス医療に関連する書籍はこちら   私の意識の成長とは? そんな壮大な話を聞いた私は、このトランスパーソナルという世界の入り口に立っていました。 意識の成長や変容について、具体的なことはわからない状態だったけれど、キーワードは「自分に正直に生きる」。 そして、ユングの欲求の階層で言えば、自己実現の先にある世界を目指すというものでもあると当時の私は解釈をしました。 とはいえ、まずは自己実現。 一般的に、発展している先進国では、自己実現の欲求は満たされやすいものだと教科書などには書かれています。 しかし、現代の社会や文化背景の中で、果たしてそうだろうか?という疑問もすでに社会の中では上がっていました。 そう、評価や競争の世界の中で、自分の本当に実現したいものではなく、社会に適応するため、うまくやっていくためにと選択してきたものは、真の自己実現とは呼べないのです。 果たして私は、本当に心から望む人生を生き、望んだことを実現しているのだろうか? という疑問が浮かびます。 看護師として充実感も、やりがいももちろんある。 新人教育や学生指導も私は好きだし、探求したいと感じる分野。 その一方で、正直に言うと、私はどこか生きづらさを感じて生きてきた節があります。 今の現実が半分は本当で、半分はまだ隠れているような感じ。だから心から満たされている、幸せ、最高!とは言えない。そんな感じです。 だからでしょう、大学で看護学を学んだ時も、心理学や発達心理学の世界にとても興味を持ち、探求をしていましたし、看護のその人らしさ、生命力を高める、生きる力を引き出すという部分にも強い意識がありました。 今、あらためてそれを自分に向けていく時。 そう感じた私は、看護師5年目以降のキャリアは一切白紙にし、今の私が何をしたいのか?という問いを始めたのでした。   私はどうしたいの? 何がしたいの? この答えから始まる選択が、まさに私にとってのトランスパーソナルな世界への入り口でした。  

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目に見える世界だけではない真実に気づいた波動医療との出会い②問診も採血もせず、原因を捉える医師との出会い

ライフコーチ河合ゆうきです! 私が本来の自分の本質、自分らしさや望んでいること、才能や使命を生きる人生へと生き方をシフトしたきっかけのエピソードを綴っています。 これは、私が20代の時、看護師として充実感を感じつつも心の中では何か違和感を感じていました。 看護師として様々な患者さんのライフストーリーと関わり、その最期の時に関わる中で、多くのメッセージを受け取りました。 そして、その度に「後悔しない人生を、私は生きているだろうか?」という問いを感じつつも、それに対して行動はできずにいる。そんな時期でもありました。 本日はストーリ②です。 <目に見える世界だけではない真実に気づいた波動医療との出会い> ストーリー①自己免疫疾患かもしれない看護師5年目の体調不良 直感的に出会った友人だから言えたこと 症状と不快感、確実に仕事に支障をきたしている現実があるのに、原因もわからず、診断もつかず。 めまいと痺れに対する対症療法の内服をしながら働く。 手の強張りはお湯に手をつけて温めながら対処する。 一体どうなっていくのだろうか・・・。 当時の私は困っていることがあっても、あまり人にそれを話すことをせずにいました。 解決したり、乗り越えた後ならば話すことが容易にできるのに、本当に困っているときは、人に話せず抱えてしまう癖があったからです。 でも、流石に今回はしんどい。 わかって欲しい思いもあり、当時まだ知り合って間もない、だけど直感的に仲良くなった友人に、私が置かれている状態を話していました。 「ゆうちゃん、それねぇ、原因もわかるだろうし、なんとかなるかもしれないよ。怪しいと思うかもしれないけど、信頼している医師がいて、地元でクリニックをやっているんだ。僕は、先生のことを師匠と密かに思っている。」 突然、そんなことを言い出す。 「え?」 という驚きとともに、本当に暗闇に差し込む一筋の光のように感じた瞬間でした。 この友人、出会った時から自ら自分のことを「怪しい」という。 でも、その怪しいと表現する世界は、「気の世界」や「意識の世界」であり、「エネルギーの世界」。 彼の日々の研究や実践から、私も不思議だけど本当に違いを感じる様々な実験を体験し、気の存在、エネルギーの存在、意識の変容や成長と人生の関係などを知り始めていました。 そんな中で、その彼のお師匠とも呼べる医師のクリニックを紹介されたのです。 気の流れで診察する医師との出会い 友人からの提案を聞いた時、すでに私の中で「怪しい」というワードはかき消されていました。 自分が働く西洋医学のフィールドでは、現在どうすることもできないのだから、もし原因がわかり、治すことができるのであれば、私はそれに取り組みたい。 と心から思ったからです。 自己免疫疾患の診断となり、ステロイドを使いながら生きる人生とは違う道があるのなら・・・ 藁をもすがるような思いで診察を受けることを決めました。 そのクリニックは静岡県にある青木クリニック。HPはありませんが、医師会の中で情報がありますのでそちらをここでは載せておきます。 一般社団法人富士宮医師会内の青木クリニックのページはこちら   そして、予約をして青木クリニックへ。 初診なので、基本情報や既往歴などを最初に記載し、普通に診察を待つ。 働くナースたちも、ナース服というよりエプロン姿で、なんだか保育園のような安心感。クリニックというよりも、お家のような感覚がする場所。 診察に呼ばれて、青木先生の前に座る私。 色々聞かれる準備をしていた私ですが、青木先生はすっと手を掲げ、私の体の20cmくらい離れたエリアをしきりに観察し出します。 そして、私が抱えている症状、それがどうして起きているかを話し始めます。 「うん、左半身が痺れていて、特に左手の薬指と小指が痛いよね。めまいは今は落ち着いている感じだけど、これもあるよね。うん・・・歯に詰め物があるね。右側は違うけど、左はアマルガムだね。それの水銀が唾液から広がっているね。肝臓も疲れ気味、腎臓はそこまでじゃない。副腎もそうだね、疲れてるかな。」 その状況に、私は目が点です。 なぜ、わかるの?っていう。 そしてさらに続きます。 「うん。やる気も十分にあるね。うん、これは治りますよ。取り組むことはいくつかあって、あなた次第になる部分もあるけどね。」 そして、診察を止めて、状況を改めて説明してくれました。 私が子供の時に治療した歯の詰め物に、アマルガムがありました。 それは左側の奥歯の一本に使われていました。そのアマルガムは水銀が含有されており、そのアマルガムから水銀がイオン化して唾液に流れ込んでいる。 私の場合は、もともと金属アレルギーの質もあったため、そのイオン化した水銀に反応し、左半身の神経が水俣病のように神経障害を起こしている状態であると。 また、アレルギーの反応や体質にも個人差があること、私の場合は食べ物や、そのほかの歯科金属も影響し合っている可能性がとてもあるとのことでした。 だから、治すためには、歯科金属を外し、体内の重金属をデトックスすることが必要であると。 ただ、歯科金属は一度に全て外してデトックスをすると、好転反応(体が正常な状態に戻るプロセスの中、一時的に症状が悪化したような状態になること)が非常に強く出ることがあるため、中長期計画で外して、デトックスを続けることが大切とのことでした。 また、肝臓や腎臓、副腎の負担の軽減、回復のために、乳卵製品を避けることもオススメされました。強制ではなく、オススメという範囲でした。 そう言われたら、もうやると決めていた私は、その治療を受けたいこと、金属もアマルガムだけではなく、全部外していきたいことも伝えました。 これは、私にとっての希望。食事制限だろうが、何だろうが、全部やる。そう決めていました。 ただ、この治療は青木先生が所属している、バイオレゾナンス医学会に所属している歯科医でなければ連携が難しいことも伝えられ、普段は青木クリニックのお隣にある歯科医と連携して治療をしているとのことでした。 そうか、歯科治療も静岡まで通うしかないかな・・・と思っていたのですが、実は私が当時暮らしていた家から徒歩圏内に、同じくバイオレゾナンス学会に所属する歯科医があったのです! その歯科クリニックに連絡を取り、承諾を得たところで紹介状を書いてもらいました。 私が通った歯科クリニックは、東京都文京区千駄木にある「ゆりの木歯科クリニック」です。 信じて取り組むことで治癒する ちょっとびっくりな診察だったわけですが、青木先生は経験豊富な内科医です。もともとは呼吸器内科が専門。 診察の結果、原因となっているものを取り除くこと、私の身体のバランスを整えることの大切さを教えてくれました。 具体的には、重金属、電磁波、農薬などの化学物質、環境汚染物質や乳製品、卵製品などが関連しあって原因となっていること。 診察で私の身体の不調から、最初に特に取り組むべきところを伝えてくれました。 また、その時に私に必要、あるいは私のプロセスを助けてくれる、漢方薬の処方と、デトックス用の漢方茶の処方。 そして、青木先生お手製のシンボルの描かれた1.5cm四方のカードを身に付けるように渡されました。 漢方の処方は、青木先生が選んだ物を私の手のひらに乗せ、私の気の流れの変化を確認して、何を処方するか決めていました。 また、シンボルのカードは1枚1枚図形、色が違い、その組み合わせと私の気の流れの変化を確認して、お守りケースのようなナースお手製ポーチに入れて渡してくれました。 (このカード、私は15枚〜20枚くらいものすごい枚数をわたされて、それを見た友人がびっくりして笑うほど!友人のそれまでの経験では、そんな枚数は渡されなかったらしい) そして、物理的に対処するこの治療だけではなく、物の考え方や捉え方、意思や思い癖などもとても大きく影響していることを話してくれました。 「自分に正直に生きることが大切です。じっくりやっていきましょう。」と。 今振り返ればわかるのですが、診察の時に「やる気も十分にありますね」と確認していたのは、自分ごととして主体的に取り組むことができるか?が、回復や変容の鍵になるからです。 私は、間違いなくやる気はある。ただ、この時はまだ青木先生がおっしゃった「自分に正直に生きること」という意味については受け止めきれないものがあったように思います。 なぜなら、それを探している感覚があったからです。 東京での歯科治療、遠隔でも見守られる安心感 そんな衝撃的な診察と、東京で歯科治療を受けることができる奇跡。 この道は間違っていないだろうと、確信のようなものがありました。だから、よりやる気は十分。 歯科クリニックに予約し、初診を受けることに。 ゆりの木歯科の院長で、主な診察や治療をしている竹末先生もまた、これまで私が知っている歯科医とは違っていました。 今でこそ、ホリスティックな考え方や診療も増えてきましたが、口の中から始まる全身の健康を大切に、最新の治療や診療のあり方を勉強されていました。 院内に掲示されている情報も、私からすると新しいことがたくさんでした。 そんな中、アマルガムを取り外すことが推奨されているポスターもありました。恥ずかしながら、大学病院内では一度も見たことはなく、熱心に熟読してしまいました。 アマルガムに含まれる水銀の含有量の危険性、特に妊婦の場合は胎児に影響を与える可能性があり、取り外すことが勧めらていました。 知らなかった・・・。歯医者に定期的に通っていたら、私は今の症状までならずに気づいていたのだろうか?様々な思いが浮かびながら、診察、治療が始まったのでした。 アマルガムを外し、セラミックに変えていく。 その他の金属もまた、セラミックに変える方針で数ヶ月、約半年くらいの計画になりました。 毎回、歯科クリニックに通うたびに、歯のことだけではなく全身の症状や状態を確認し、歯科治療を進めていきました。 その期間、最初に聞いていた通り、好転反応によってめまいの悪化や強張りの増強が出ました。 竹末先生が症状などを聞いてくれ、好転反応が強い場合は予定を変更することもありました。また、時には竹末先生がすでに青木先生から連絡を受けていて、アドバイスを伝えてくれることもありました。(どうやら遠隔で診察していたようです。) デトックスのお茶はなかなか美味しくないお茶だけど、信じて飲む。勤務中もなんどもトイレに行く日々。そして、乳卵製品を避ける食生活を徹底しました。 処方された漢方薬、シンボルのお守りも欠かすことなく身につけていました。 そして、半年経った時、私の歯科の治療は一通り終了し、歯周病のチェックや定期メンテナンスのみでOKとなりました。 結果として、本当に驚いたことに、めまいも痺れも改善し、さらには10代の時から抱えていた重度の花粉症も改善し、人生でこんなにクリアな感覚はいつぶりだろう?というくらいになったのでした。   そう、自己免疫疾患への診断を待つのではなく、症状の原因を見つけ、取り除き、私の身体はこれまでにない健康状態を手に入れたのでした。   このプロセスと経験、正直なところ勤務していた病院ではそんなに大々的に話すことはできませんでした。 歯科金属が原因だったことがわかり、それを取り除いたという話はしたものの、その過程で何を受けていたからは話せなかったのです。   バイオレゾナンス医療とは 今回私が受けたこの医療は、バイオレゾナンス医療と呼ばれています。 バイオレゾナンス医学会が当時からあり、そこで掲げられている理念は 「西洋医学・東洋医学、歯科・医科、波動(振動)医学を統合し、治し力を追求し、治り力を高めます」 というものです。 バイオレゾナンス医療とは、私たちの存在を、物質的な人間の体と、エネルギーのボディが重なった存在として捉え、西洋医学の物質的な体としての診察、治療システムだけではなく、エネルギーのボディとしての状態も診察、治療していく統合医療です。 バイオレゾナンス医学会のメッセージと、そこに集まる医師はその医療を実践する人たち。 この医学会を立ち上げた理事長であり、医師である矢山利彦医師は、東洋医学の源流をたどる中で、「気」と出会い、気功を訓練し、気を通して人々を診察し捉えることを訓練した結果、気の流れを通して様々な診断や治療法を確立し、これまで治すことが難しかった病が治ることを発見しました。 そこで、エネルギー体としてのボディを診察し、治療介入することを広め、人間の治癒力を高める医療を提供するために、誰でも気の流れを診察できる装置「ゼロサーチ・プロ」を開発されました。 このバイオレゾナンス法で診察をすることで、全身のチャクラや経絡の状態、歯科金属、歯周病、歯根部の感染などの歯科的問題が全身の難病、難治病、ガンに密接に関与していること、また難病、難治症の原因となっている環境汚染物質の体内沈着、ウィルス・細菌・寄生虫の日和見感染、電磁波の生体への影響、そして免疫機能の発現状態を推定することができるようになったそうです。 そのため、医師・歯科医との連携をはかり、統合医療の発展に努めていらっしゃいます。…

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目に見える世界だけではない真実に気づいた波動医療との出会い①自己免疫疾患かもしれない看護師5年目の体調不良

ライフコーチの河合ゆうきです。 2019年から、私は地に足のついたスピリチュアリティ、これからの時代で必ずより人々の生活の一部になる波動やヒーリングについての学びを深めています。 波動やエネルギーの世界に触れることは、科学の世界と同様に日常的には目には見えなくても存在しているものに気づき、私たちがいかに目に見えないところでの影響をし合っているかがわかります。 オーストラリアで暮らすようになって5年、やっと心から望んでいる世界、求めていた世界を存分に探求し始めたように感じています。 なぜなら、本当は20代半ばの時に私はすでにこういった目には見えないけれど存在し、私たちに深く関わり影響し合っているエネルギー、波動の世界に出会っていたからです。 そして、その出会いは、当時の私からすると本当に衝撃的なものでした。   看護師5年目キャリアを考える中での体調不良 20代の私は東京都内の大学病院で看護師をしていました。当時、すでにリーダー業務も取りながら、新人教育や学生指導もさせてもらえるくらいになっていた私。5年目以降のキャリアを考えているような時期でした。 そんな中、私としては珍しく体調があまり良くない感じが続いていました。子供時から、年に1度風邪を引く程度の健康体で、予防接種しなくてもインフルエンザさえかかることのなかった私。 看護師になってから、確かに患者さんや流行りの風邪をもらうことはありましたが、それでもかなり珍しい方でした。 そんな私が、なんだか全身のだるさを感じ、左手のしびれを感じていました。 休日は休むように心がけたり、食事ももう少しバランスなどを考えてみようかと意識したりしつつも、体調は改善することなく、左手から始まったしびれは、左半身全体に広がっていきました。 そして、めまいを感じるようになり、仕事もだんだんと辛い。 夜勤をしているとわかるのですが、明け方になるとめまいはひどくなり、両手の関節の強張りまで出てくるようになりました。 流石にこれは何かがおかしい。 そう思い、勤務している病院での診察と検査を受けることにしました。 しかも、当時私が勤めていた病棟の診療科の中には、総合診療科と膠原病内科があり、検査入院してくる患者さんの多くが、最初は原因不明の体調不良であることも多く、検査の結果、血液内科の疾患や膠原病内科の疾患など、確定診断がついていくという流れを知っていました。 私の場合もまた総合診療科の管轄かなとも思える。ただ、手の強張りや、私が自覚している症状は、自己免疫疾患と呼ばれる、自分の免疫が自分を攻撃してしまう病態を想起させるものだったので、膠原病内科もまた管轄のように思えました。 ひとまず、病棟で共に働く医師にまずは相談、満場一致で膠原病内科で診察と検査を受けようとなりました。 自己免疫疾患だったらどうしよう・・・ この時点で私の中では、「自己免疫疾患だったらどうしよう・・・」という不安が生まれます。 大学時代から内科の慢性看護を得意としてきた私は、悪性リウマチや全身性エリテマトーデス(SLE)、多発性筋痛症、シェーグレン症候群などといった、自分の免疫システムが自分を攻撃してしまう病態の患者さんをたくさん見てきました。 自己免疫疾患には西洋医学のみの観点でいえば、根治の治療法がありません。症状を落ち着かせる状態を目指すことがスタンダートです。なぜなら、自分の免疫システムを全て抑えてしまうことは、この世界を生きる上で不可能だからです。 免疫という私たちの身体の防御機能を無くすことはできないため、適正に働く状態を目指すのです。 そのため、自分の免疫システムが自分自身を攻撃してしまう症状が出たら、副腎皮質ステロイドという、人間が本来自分で分泌しているホルモンを外部から投与することで、その免疫全体を抑えるステロイド大量投与がスタンダードな対症療法とされていました。 現在では研究が進み、症状を引き起こしている免疫の詳細がわかり始めています。その結果、細かな診断や症状に合わせて使われる薬剤の種類も増え、特定した免疫部分を抑えることができるようになっています。 それでも、私が働いていた当時はまだまだステロイド大量投与や生物学的製剤(生物が産生するたんぱく質などを医薬品として使用している製剤)の使用がほとんどでした。 また、症状が悪くなる背景には、日々の生活の中でのストレスや、疲労、食生活などライフスタイルも深く影響しており、自己免疫疾患を発症した場合は、その後の人生のライフスタイルや生き方を改めて構築していく必要があるのです。 看護師の私がもし、自己免疫疾患の診断がついたら、どうやって働いていくことができるだろうか? 知識はあるし、セルフケアもできるだろうけれど、どんな人生を生きられるだろうか?と漠然とした不安と、恐怖が広がっていました。   それまでの看護師経験の中で、コントロール良好な患者さんも、そうではない患者さんも見てきました。 中には10代で診断を受け、ステロイド大量投与を受ける人もたくさんいましたし、30代の子育て真っ盛りの中の発症や、かなりの状態悪化、時にはお看取りをすることもありました。 そんな経験があるからこそ、私は、自分が置かれている状況が、恐怖と不安でいっぱいになったのでした。 確定診断はつかない、原因もわからない 病棟では明るくいつも通りの看護師として振る舞う。 めまいには、めまい止めを処方してもらい、それを内服して仕事をする。 それでも、夜勤は厳しく、朝の採血が手の強張りによってままならない日もありました。 一緒の勤務のスタッフに採血をお願いし、私ができる業務を全て引き受けて夜勤をする。 一番ひどい時は、まっすぐ歩けずカートごと壁に激突し、後輩ナースに全力で心配されたこともありました。 そんな風に働きながら、病棟では笑い話のように「誰を担当医にする?」と膠原病内科のドクターが聞いてくる。 性格や気質から予想される診断名クイズなんかもしてしまう。あぁ、現実よ。 冗談を交えながらも、私が信頼している医師ははっきりしていたので、確定診断がつくなら選びたいドクターがいました。でも、急ぎ診察と検査のオーダーを出して欲しかったため、その日外来を担当している医師に頼みました。 一通りベーシックな検査を受け、外部で解析する細かな検査の採血などの結果を待つことに。 現実を生きているはずなのに、現実味がないとはこういうことをいうのかもしれないなぁと、どこに足をつけたらいいのかわからない状態で検査の結果を待っていました。 検査結果 明らかに確定診断をつけられる検査項目、数値はなし。 ただし、やはり自己免疫疾患の診断基準となる、抗体の数値は正常値よりは高い状態になっている。 つまり、その数値が確定診断基準に及べば、私は自己免疫疾患の何らかの診断がついてくる。 だけど今はそうではないため、何も言えず、症状への対症療法で様子見。 嬉しいような、嬉しくないような・・・。どうしたらいいんだろう?という気持ち。 ふと浮かんだのは、総合診療科の患者さん。 原因不明の体調不良で検査入院をして精密検査を受けるも、診断はつかず退院。でもまた症状が悪くなると同様に入院して検査。それを繰り返し数年後、血液内科または自己免疫疾患の診断となる。 このパターンなのだろうか・・・ とりあえず働いていかなければならないし、生きていかなきゃならない。 親にも言えず、どうしたらいいか途方に暮れていた私。   そして、病気の原因がわからないって何もすることができないのだなと気づくのです。治療や対症療法という選択以外、当時の私には何もなす術がない。 何かがおかしい。 どうしたらいい? 確実に広がるしびれと目眩、もしかして神経系かもしれないとしたら、脳神経内科も診察を受けようかな・・・。悪あがきのような案が次々と浮かぶ日々。   そんな時、当時仲良くなったばかりの友人に、私のそんな状態を話していると、ある提案を受けることになったのです。